英語を勉強したいという欲というか願望が出てきている、という話をこのブログでも書いているのだが、その願望の正体がよくわかっていない。
これまた前回のこのブログに書いたのだが、これまで私は英語から逃げる人生を送ってきており、できれば避けたい対象が英語だった。それなのになぜ今さら勉強したいと思っているのか。せっかくの機械なので、ちょっと考えてみた。
1つは、逃げてきたからこそ、なのかもしれないというもの。苦手で逃げてきたからこそ、忘れ物を取りに帰るではないが、せっかくの人生なので取り組んでみたいと思っているのかもしれない。本当は若いときに身に着けていれば、ちょっと違った人生になったかもしれないし、今さら何が変わるわけでもなさそうではあるが、後から見た後悔はちょっとだけ減るんじゃないかと思ったりしている。
2つめは、単純にかっこいいから、というもの。英語が読める、英語が話せる。自分にないからこそかっこいい、うらやましいと純粋に思う。それを身に付けることができた自分はどんな感覚になるのか、味わってみたいと思っているのかもしれない。
さらに3つめ。それは「わかる」は楽しい、というもの。
私は昔から、何か新しい解法を学んだり、知らなかった因果関係を理解できたり、また自分自身が新しいアイデアを思いついたりと、「わかる」という体験をしたときに、喜びを感じることが多かった。逆に、英語という科目の勉強においては、その「わかる」があまりなかったので、好きではなかったとも言える。
しかし、ここに来て、いろいろな本や動画などで、英語に関して「わかる」と感じることがちょくちょくあって、だったらもっと体系的に勉強してみたいと思っている節がある。なので正確には、英語を勉強したいというより、英文法を勉強したいなのかもしれない。
これら3つの視点から、英語を学び直してみたいと思っているんじゃないかと整理できたわけだが、それであれば逆にこの3つに当てはまる他のものに取り組むのでもいいのかもしれない。あと少しで40代も終わり、50代を迎えようとしているタイミングで、次の5年、10年取り組んでみたいテーマを、この3つを基準に考えてみたいと思った次第である。
ということで、英語を通じて「わかる」という体験をしてみたいのかもしれないことに気づいた、という話でした。