後から思えば、あのときはまだ全然マシだった、ということはよくある。で、今がその典型だと思ったりする。この物価高に対する国民の反応である。
この物価高に対する反応、2つの比較の方向性があって、それらに対して不満の声が多くなっているように感じる。1つは過去の自分の生活との比較、もう1つは現在の自分よりもよく見える人に対しての比較。
1つめは、デフレの時期と比べると、今のインフレ過渡期は苦しい、というもの。そりゃそうだ、実質賃金はマイナス。物価高に賃上げが追いついていないから仕方ない。昔(といってもそこまで昔ではない時期)と今を比較をすると苦しくなっているように感じる。そこでお上に助けてほしいということで声をあげ、それに政治家が反応するという構図。減税や補助金が施されれば楽になったように感じるだろうが、その恩恵はすぐに消えるだけでなく、さらなる物価高を誘発する。そして、またお上に助けを求める(以下、続く)。
もう1つのほうは、例えば、インバウンドの外国人、株で儲かっている富裕層に向いているもの。自分たちは苦しいのに、良い生活をしていることが許せない、となる。しかし、ここを締め付けても、基本良いことはない。それどころか自分の首を締めることになる。それでも、不満の向け先がほしくなり、外国人排斥とか、金融資産増税とかに向かう。繰り返しになるが、これは一瞬気分が爽快になるだけで、自分の得にならないどころか、損をする結果になる。
仮に今後インフレがもっと進み、さらに生活が苦しくなったとして、その時点から今の2026年を思い出すと、あのころはまだマシだったと思うだろう。そこであのときもう少し我慢をしておけば良かったと気づいても遅い。ここはまずインフレを止める政策(=緊縮財政)を選択して、一瞬の快楽から目を背けずに我慢すれば良い、と数年後ならわかるかもしれない。
仮に今後、戦争になったとしたら。今の外国人排斥の動きが直接戦争に結びつくとは思わないが、それでも他国からの侵略含めて戦争に突き進むようなことがあったとしたら。そのときは、おそらく前の戦争と同様、最初は高揚感があるかもしれないが、どこかで疲弊するのは明らか。もしかしたら、そんなことを考える時間もなくやられるかもしれない。もしそうなったら、その時点から見て、今の生活なんてめちゃくちゃよく見えるはずである。
今後予想される近未来から、今がどう言うふうに見えるか。その視点を持ち続けることは非常に大事だと思う。今の苦しみなんて、実はたいしたことない、というのが大半の人だろう。もちろん、今本当に苦しい人を見過ごせと言っているわけではない。しかし、少しだけ苦しい人までも(見せかけの)救済をすべきではないと言っているだけである。ちょっとのインフレで、苦しいとか、助けてほしいとか、声をあげている姿を、戦中の人が見たらどう思うのだろうか、そんなことを思った次第である。
なんて思ったら、解散演説を受けての高市政権の支持率が少し下がったというニュースがあった。それが消費減税への非難の声であるならば、国民もそこまで馬鹿ではないよ、という声なのかもしれない。日本もまんざらでもないなと思ったりした。
ということで、未来から今を見てみるという視点が大事かもしれない、という話でした。