前回のこのブログで、知覧特攻平和会館を見学したときに覚えた違和感について書いた。その違和感とは、今の視点で今の価値観で当時の戦争や作戦を一方的に非難することの違和感だった。
このことからもう一段抽象化して考えると、歴史を学ぶときには、ただ俯瞰的な視点から後世の価値観で歴史的事象を学ぶだけではなく、当時生きた人の立場から歴史を見つめる視点も大事であるということになる。
われわれは歴史を学ぶときに、年号を覚える。1600年に関ヶ原の合戦があり、1603年に江戸幕府が開かれたというやつである。で、こう覚えると、このタイミングで大きく時代が変わったかのように感じてしまう。ただ、当時の人から見れば、こういった合戦やイベントがあっても、日々の生活は続いていたわけで、非連続にすべて変わったわけではないはずである。これらは大きなきっかけであったのは間違いないだろうが、そこから徐々に武士が活躍した戦国に時代が終わり、基本的には戦のない世の中に移行していったわけである。
当時の人々の視点で、いわゆる大名や武士はこの変化をどう捉えたのか、地方の農民や都市部の町人は変化をどう捉えたのか、そこに思いを巡らすと、ただ俯瞰的に、神の目的に歴史を捉えるのとは別の見方ができると思う。
それとは逆に、今現在を俯瞰的な視点で見るということも、これまた大事だと感じる。今を生きるわれわれは、日々を連続的に捉えているが、将来からこの今の時代を見る人たちは、2025年とか2020年代はこんな時代だったと、後世の視点で捉えるだろう。そのとき今の時代をどう見るのか、今の時代は大きな流れの中でどう位置しているのか、そういう視点で考えることも大事だと思うわけである。
そういう視点で今の時代を見てみると、経済的にはデフレからインフレに変わる大きな転換点と捉えることができる。今を生きている人の多くは、物価が上がっていることに不満こそあれ、これが時代の転換点とは捉えておらず、このインフレが続くのかどうかについても懐疑的か、もしくはそこまで関心がないといったところだろう。しかし、大きな視点で見れば、間違いなくデフレは終わってインフレの時代に入っており、その中で、個々人はどうふるまうべきか考えないといけないと思うわけである。漫然とこの連続した毎日を過ごしていることにちょっと危機感を覚えたりする。
また国際情勢としてはかなり緊迫してきており、これまでの平和な毎日が続くとは限らないと想定しておくことが大事だと思う。ロシアのウクライナ侵攻は、後から見れば、さらに大きな戦争の引き金となったということになるかもしれないし、中国の台湾侵攻の遠因になったと評価されるかもしれない。
そんな感じで、歴史はそこに生きた人の視点で、現在は神の目の視点で見ることを心がけたいなと思った次第である。
ということで、歴史を虫の目で見る、現在を鳥の目で見る、という話でした。