知覧特攻平和会館で感じた違和感

ちょっと前に、業界団体の視察旅行で、南九州に行ってきた。年に1回の視察旅行だが、私自身は久しぶりの参加。所属会社のみなさんとの懇親含めて、楽しい旅行となった。

 

その視察旅行の旅程の1つに、知覧特攻平和会館が入っていた。この知覧特攻平和会館は太平洋戦争末期に特攻作戦で亡くなった陸軍特別攻撃隊員の遺品や資料を展示する施設。特攻作戦に出ていく前に書かれた家族への手紙などが展示されていて、涙無しには見ることができないと言われることが多い。

 

私はこの施設は初めて訪れたのだが、その心情を察するに複雑な思いにはなったし、戦争や特攻作戦の愚かさには憤りを感じた。

ただ、その一方で何とも言えない違和感を覚えたのも、正直なところだった。その違和感とは何か。この平和会館で、そしてその後もあれこれ考えたみたのだが、それは、その後の未来がわかっている人たちが、さらには(当時からすると)未来の価値観で展示をしていること、そしてそれを未来の価値観で観覧していることに対する違和感だということに気づいた。

 

どういうことかちょっと整理しながら書いてみたい。

この戦争後、日本は平和を享受できているという未来があって、それを今を生きるみんなが知っている。そして戦争はダメ、平和が大事という価値観を多くの日本人がもっている。その視点から戦争や特攻という歴史を、今を生きるわれわれが見ているわけである。

それに対して、当時の視点はどうだったのか。この特攻作戦は戦争末期の1945年に行われたわけだが、仮にこの戦争に負けたらどうなるか、おそらく多くの人は、戦後におとずれる平和で急激な経済成長は想像できていないはずである。実現される未来はわかっていなかったのである。もっと言えば、負けたら、アメリカなどの連合国にめちゃくちゃにされると考えていた人のほうが多かったのではないか。そう考えると、今(平和な世の中)から見れば無謀な作戦ではあるが、当時は連合国の統治下で惨めな思いをするくらいなら、本望と思っていてもおかしくないし、もしかすると起死回生の作戦になるかもと捉えていた人がいてもおかしくない。

加えてこの戦争自体も、軍部の暴走で始まったかのように言われているが、当時の世論が後押しした側面も強く、この特攻作戦に対しても熱狂的な支持があったと言われる。

もちろん、この特攻作戦に行って散っていた人々やその家族の心情はいかばかりとは思うし、私もこのような作戦は愚かだと思う。ただ、後世から、冷静な今の価値観から「だけ」でこの事実を捉え、一方的にこの戦争や特攻作戦を非難するのは、ちょっと不公平なのではないかと思ったわけで、それが違和感の正体であることに気づくことができた。

 

印象に残った展示の1つに、お母さんに対して、小学校のときに遠足のような気持ちです、と綴られた手紙があった。そこには、親を心配させまいという気持ちももちろんあったと思うが、文面通り英雄として作戦を遂行する高揚感みたいなものもあったのではないかと思うのである。それを、かわいそうとか、ひどいとか、悲しいとか、今の一方的価値観だけで論じることが、国にために散っていた方々から見て、喜ばれることなのかなと考えさせられた。

 

今のこの時代に目を向けると、首相のコメントに世の中が過敏に反応している。この後、台湾有事などが起こり、日本もその戦争に巻き込まれる可能性も十分あり得ると思っているが、ただ平和と希求するだけで、それを回避できるかと言えば、難しい。

この知覧の展示を受けて、単純に戦争に反対し、平和を望むというだけでなく、どうしてそういった作戦に突入しなければならなかったのか、を考えないと同じ過ちを犯してしまうと思うのだが、いかがだろうか。

 

そんな感じで、歴史と現在を比較していろいろと考えさせる展示であり見学だった。政治だけでなく、経済も含めて、今のこの状況を俯瞰して捉えて、今この国がどう進んでいるのかを理解し、個人としてどう振る舞うべきか、深く考えるきっかけにしたいと思う。

 

ということで、知覧特攻平和会館での違和感が何か考えてみた、という話でした。