昨日は朝からとくに予定がなかったので、ゆっくり起きて、何の気なしにテレビつけたら、世界陸上の女子マラソンがスタートするところだった。
今回の世界陸上は東京開催ということで、どうやら34年ぶりらしい。1991年のときは私は中学生で、このときのことは割としっかり覚えている。まだカール・ルイスやブブカが現役だったらしく、そのときの競技自体は覚えていないけど、やっていたのはしっかり覚えていて、友人宅に泊まりにいったときに見た記憶がある。ちなみに日本では今回が3回目らしく、2007年に大阪であったらしいが、このときのことはまったく覚えていない。
そんな34年ぶりの東京での世界陸上。今回もあることくらいは知っていたものの、あまり関心もなかったのだが、見てみるとなかなか面白い。選手とかもよくわからないのだけど、ちょっと見てたら割と丁寧におしえてくれるので楽しむことができる。まず関心をもって見るという姿勢が大事だなと感じる。
さて、話は戻って、女子マラソン。日本勢で入賞した小林香菜選手は、大学時代競技部に所属せずにサークル活動をしていたが、社会人になる段階でもう1回真剣にやりたいとなり、実業団に直談判するもなかなか受け入れてもらえず、大塚製薬に拾ってもらった、といった話が何度もされていた。小林選手が出たからスポンサードしていたわけではないだろうが、CMや給水箇所でのポカリスエットとあわせて、大塚製薬としてはかなりの広告効果があったのではないかと思ったり。
そんなビジネスライクなことを考えながらも、小林選手が国立競技場に戻ってきたときには、純粋に感動することができた。
一方で、中継は小林選手が中心で全体の7割くらい占めていた印象でいかがなものかとは思った。日本の放送と言えど、やはりトップ選手を半分くらいは見せるべきか。また、序盤で日本選手が第2集団にいるのに、2位グループとテロップを出したりしていて、誤った煽りをするのはやめてほしかった。
そんな不満もあったが、あまり時間を気にせずに、ただマラソン中継を見るのってなかなかの贅沢だなと思った。子どもたちはまったく関心を示さかなったけど。私も子どものころはマラソンや駅伝は興味なかったけど、親が見ていると仕方なくいっしょに見ていたが、今はいくらでも娯楽があるので、そっちに逃げることができる。それがいいことなのかどうか、興味がないことも、仕方なしで見ることによって関心の幅が広がることがあるだろうなと思うが、こういうのは事後的にしかわからない。
夜は夜で、男女100mを中心にテレビで観戦。
TBSもかれこれ長く世界陸上を中継していることもあり、選手の紹介とかうまく、よく知らなくても楽しめるように番組をつくっている。女子走り高跳び、男子走り高跳び、女子円盤投げ、男子10000mなど、日本選手が誰なのかもよくわかっていなかったけど、興味深く見ることができた。まったく関心のない娘(小学4年生)も、走り高跳びで2m(≒家の天井より高い高さ)以上を跳ぶことを知って驚いていた。
世界陸上前半の(というか全体の)メインイベントである100mを見ることができたのは、自国開催の恩恵。準決勝から見たが、男子100mで優勝したセビル選手は、準決勝からすごい走りをしてて、この選手に注目して決勝を観戦。予想通り?接戦を制して、興奮した。
TBS世界陸上のメインキャスターの織田裕二が、優勝したセビルに対して、100m・200m・リレーの3冠をとってこそ真のチャンピオン的なことを言っていたが、昔はカール・ルイスがこれに加えて走り幅跳びの4冠を取っていたことを思い出した。女子は100mと走り幅跳びが同日にやっていて、今は100m、200mと走り幅跳びを両方やる選手はいないのかな?とちょっと疑問に思ったりした。
さて、改めて思うのが、こういったスポーツイベントが地上波で流れることの重要性。来年のWBCがNetflixで独占放送されるというニュースがちょっと前に流れていたが、今回の世界陸上もサブスク課金されていたら、間違いなく見ていない。お金がかかるということもあるが、そもそも事前の関心がないと、タダであったとしてもわざわざログインしないだろう。たまたまテレビをつけてちょっと見たら面白かった、ということにならない。
同日、井上尚弥の世界戦があったようだが、こちらは地上波の放送がなかった。競技の裾野を広げるという意味では、地上波での放送は重要だし、資本主義の中で日本というかテレビ局のプレゼンスが低下の影響が今後大きくなるのかもしれない思った次第。
スポーツにおける日本の活躍が、日本人の幸福感にどこまで寄与するかわからないが、仮に大きいとするのであれば、何らかの制約をかけることを考えないといけないのかもしれない。
ということで、世界陸上が思いの外面白かった、という話でした。