前回のこのブログでは、本当に嫌なことだけでなく、ちょっとイヤなことも拒否できる時代、それが許容される時代になったということを書いた。
この時代の変化、いわゆる立場の弱い人が強くなったとも言え、逆に立場の強い人が弱くなっている。
よく言われるのが、会社の管理職が、セクハラ・パワハラと言われることがこわくて、何も言えなくなっているということ。
これは確かにそういった傾向があるのだろうなと思う一方で、管理職がこのコンプライアンスという言葉を盾に、やらなければならないことをさぼっているという側面も強いのではないかと思っている。
うちの会社でも、年に数度、社内行事で懇親会がある。
基本的には前向きに参加してくれる社員が多いのだが、中にはこういった飲み会があまり好きでない社員がいるのも理解している。で、気乗りしないから参加しない、という社員も最近多くなってきている。
こういった懇親会、経営者の私としては、社内のつながりをつくるという点において大事だと思ってやっている。また、そういった懇親会は、もちろん毎日あるわけではなく、毎週あるわけでも、毎月あるわけでもない。せいぜい年に2~3回程度である。それであれば、ちょっとイヤであっても、参加してほしいと思うわけである。
それでも、このご時世、気乗りしないとなれば欠席しますと言いやすくなっている。なので、管理職にできるだけ出席してもらうよう声がけをしてほしいと私がお願いすると、今の時代は言い過ぎるとパワハラになりますと言い出すのである。
この反論、一見正論のように見えるが、私からすれば、声がけするのが面倒くさいから、なんでこの懇親会に参加したほうがいいのか考えるのが大変だから、そう言ってるように思うわけである。
部下に問題があったらきちんと指摘する、指導する、そんなことまで含めて、パワハラになるから何も言わない、そんなことも世間的にも(もしかするとうちの社内でも)増えているかもしれない。
そうすれば、少なくとも短期的には、面倒なことを言わなくてもいいし、嫌われることもない。
でも、これはパワハラを免罪符にさぼっているだけで、そういったことが積み重なれば、長期的には組織としては弱体していくのは間違いない。
そう考えると、パワハラが許されない時代だからこそ、管理職の役割がより重要になっているのかもしれない。昔であれば、ただ「やれ」でよかったのが、今は都度その意義をしっかり伝えていかないといけない。懇親会1つでも、なぜこれに参加することが個人にとっても、組織にとっても大事なのか、説明しないといけない。
一見面倒くさい時代になったものだと思ったりもするが、そこを丁寧にできるかどうかが組織を強くするカギなのかもしれないと思った次第である。
ということで、管理職はパワハラという言葉を盾に、やらなければならないことから逃げてはいけない、という話でした。