食事も好きだけを選べる時代

昨日のこのブログの記事で、巷に溢れているコンテンツを、自分が好きなもの、嫌いなもの、どちらでもないものに分けたとき、今の時代は好きなものだけで選ぶことができるが、それはそれで弊害もありそうだ、ということを書いた。

自分の子どもたちを見ていると、自分の知っている好きなアニメや動画ばかりを見ていて、興味関心の輪が広がらないのではないか、と懸念している。なので、AmazonプライムビデオやYouTubeではなく、テレビ番組をもっと見ろと言っているくらいである。

 

さて、この好きなもの、嫌いなもの、どちらでもないものという区分で、どちらでもないものを選ばなくなっているという問題。これはコンテンツだけでなく、食事にも表れているような気がしている。自分が嫌いなものを食べないというだけではなく、自分が好きでないものは食べないという傾向が(少なくとも)うちの子どもたちには出ている。

 

私は子どものころ、好き嫌いが多く苦労した。とくに給食はほとんど食べられないのに、それでも無理やり食べさせられるという、昭和の時代を色濃く反映した教育スタイルにうんざりしていたのを今でも思い出す。

自分が嫌いなものはどうしても食べられなかったのだが、好きなものばかり食べていては腹が満たされないので、好きでも嫌いでもないものはきちんと食べていた。

それに対して、うちの子どもたちは、自分が好きなもの以外を少し我慢して食べようという意識が薄い。けっして食べられないわけではないが、好きでないものは回避しようとするのである。学校や幼稚園でも、このご時世、無理して食べさせるようなことはないので、簡単にいらないと言ってしまうような気がしている。

 

上述したように、私自身好き嫌いが多く苦労してきたので、子どもたちにどうしても嫌いなものまで我慢して食べろとは言わない。しかし、ちょっと我慢したら食べられるものや、気分が乗らないからいつもは食べるものまでいらないと言われると、ちょっとカチンときてしまう。それで投げやりになっては、栄養的にも偏るリスクもあるので、我慢して食べるように促すようには心がけている。

 

前回のコンテンツの話にも通じるが、ちょっとした我慢ができなくなると、将来的にいろいろなところで困ることが多くなると思う。我慢する機会が少なくなってきているこの時代において、親としてはちょっと面倒くさくても、意図的に我慢ができるように仕向けていけないかないといけないと思った次第である。

 

ということで、食べるものも好きなものだけでいい時代になってきているかもしれない、という話でした。

 

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