記録ができる時代に子どもの記憶は変わるのか

上の娘が9歳の誕生日を迎えた。
去年のこのブログで、「パパがいっしょじゃないと寝れない」と言ってくるけれど、それもいつまで続くかわからない、なんてことを書いていたが、1年経った今もまだ変わらず言ってくる。
これをありがたいことだと思うのか、なかなか成長しないなと思うのか、両面あるのだが、まあそれはそれで良しとしておきたい。
ちなみにまだお風呂はいっしょに入っている。
 
さて、誕生日と直接関係があるわけではないが、最近ちょっと思ったことがある。
私が子どものころにはカメラやビデオ自体はあったが、それを記録しておく媒体が脆弱で、残っている写真が少ないし、ビデオも当時大きなビデオカメラを親が買っていたが、撮ったテープはもう存在しない。
それに引き替え、現代ではスマホで簡単に写真や動画が残せる時代。おそらく紛失せずにそのまま残っていくもののと思われる。
そんな記録が簡単に残せる時代にあって、子どもの記憶は、私たちのころと比べてどう変わるのだろうか、とふと思ったわけである。
 
例えば誕生日の写真なんかでも、毎年撮るわけで、翌年以降には1年前、2年前、もっと前の写真を見返すことができる。
となると、昔の記憶の定着が進み、記憶が充実するのではないかと思ったりしている。
これが、私たちの時代だと、そんな写真や動画は残っていないわけで、本当に記憶だけでしか思い出せないのだが、今の時代は、純粋な記憶にプラスして記録が加わることで、思い出がさらに充実するのではないか、という仮説が思い浮かんだわけである。
 
より鮮明に思い出が残ることがいいのかどうかはわからないし、何かしら影響が出てくるのかどうかもわからないが、なんとなく明確に違いが出てくるのではないかと思っている。
それによってどんな影響がありそうか、娘にも意見を聞きながら、今日の誕生日を過ごしたいと思った次第である。
 
ということで、記憶に記録が加わり思い出が充実する時代になっているのではないか、という話でした。