スキマ時間を埋めようとすると、時間を浪費する

最近、会食や飲み会があるときや、翌日の会議で必要な資料ができていないときを除いて、子どもたちを寝かしつけるタイミングで自分で寝てしまうようにしている。
時間としてはだいたい21時から22時くらい。早く寝ると当然早く起きることができ、5時とか6時に起きるので、7~8時間くらいの睡眠時間が確保でき、睡眠不足を感じることも少なくなった。
 
そんな感じでせっかく早起きもできているので、朝の時間を有効活用したいところだが、起きてすぐスマホの目覚ましアプリを止めるとすぐにX(Twitter)を開いてしまい時間があっという間に過ぎてしまう。それではいけないと起き上がってトイレに行くのだが、この間もXやYouTubeを開いてしまう。そこから歯みがきするにもスマホを手放すことができず、時間を浪費してしまっている自分に気づく。
 
朝だけではない。
トイレに行くときなんかも、大でも小でもスマホをもって入る。そこでXを見てしまうと、気づけば時間が過ぎている。
食事のときも、一人のときはスマホを開いてしまい、食べ終わったのにそのまま見続けるなんてこともよくある。
 
そんな感じで、スキマ時間を埋めようとスマホを見てしまうともうおしまい。そのスキマ以上の時間を浪費してしまうことになる。
ただ、これがどうしてもやめられない。スキマ時間が耐えられなくなっている自覚は十分にあるのだが、抵抗ができない自分がいる。
 
なぜ、抵抗できないのか。ちょっと考えてみたが2つの理由が思いつく。
1つは、デバイスのサイズとアクセスの良さ。
せっかくのスキマ時間なのだから、スマホではなく、本でも開けばいいのだが、利便性という面で負けてしまう。スマホといういつも近くにあり、しかも手頃なサイズ。これには抗いがたい。
それこそiPadKindleで本を読んだほうがいいということはわかっているが、私の場合はカバンに入れているので、カバンのところまで行って、開けて取り出すのがどうにも面倒くさいのである。
 
もう1つは、気軽なコンテンツへのアクセス容易性。
XやYouTubeのコンテンツはコンパクトにまとまっているため、その分抵抗なく受け入れてしまう。同じ動画を見るのでも、TVerでテレビ番組を見たほうがまだ有益だと思ったりするのだが、今や30分の(実施20分ちょっとの)番組見るだけでも、重い腰を上げないといけない感じになっている。
細切れになったコンテンツは容易にアクセスでき、スキマ時間を有効に使えたような気にさせるが、実のところは得るものは少ない。ただ、それをわかっているのだがやめられない。
 
振り返れば、昔もトイレに行くときなどは、本やマンガをもっていって入っていたことを思い出す。やはりスキマの暇な時間は避けたいと思っていたのだろう。ただ、それがスマホに変わっただけと言わればそれだけなのだが、その分コンテンツも薄まったものが多くなり、スキマ時間の効用という点では、かなり落ちてきているのではないかと思った次第である。
 
ということで、朝のXやYouTubeがやめられない、という話でした。