敬老の日の扱いが難しい件

今日は敬老の日で休日。
だからというわけではまったくないが、今朝は子どもたちを連れて、近くのコメダ珈琲に行って、私の両親と朝食を食べてきた。
上の小学3年生の娘には、今日は敬老の日だから、おじいちゃんとおばあちゃんにお礼を言うんだよと伝えるも、わかっているのかわかっていないのかよくわからない様子で、とりあえず小声でお礼を言っていた(というか、言わされていた)。
 
そうやって娘にお礼のようなことを言わせたのはいいのだが、正直この敬老の日の扱いが難しいと小さいころから思っている。
母の日や父の日ともちょっと違って、おじいちゃん・おばあちゃんの日ではない。老人を敬う日なのだ。
で、この老人の扱いだが、どこから老人扱いで、どこまでは老人扱いしてはいけないのか難しい。
さらに、敬うということなので、実際には何をしていいのかわからない。自分で娘に言わせておいてなんだが、お礼を言うっていうのもちょっと変なのである。
 
私も子どものころ、敬老の日近辺に、祖父・祖母の家に遊びに行ったときにどうしたもんか悩んだ。じいちゃん・ばあちゃんを老人扱いしていいのか微妙な感じもしたし、何を言っていいやらよくわからなかったのを覚えている。
なので、ごにょごにょとちょっとだけ何かお礼的なことを言うか、何もしないか、どちらにせよ、ごまかして通り過ぎようとしていた。
 
この敬老の日、改めて調べてみると、どうやら戦後からのもので、そんなに古くない模様。
Wikipediaによると、
兵庫県多可郡野間谷村(後に八千代町を経て現在の多可町八千代区)で、1947年(昭和22年)9月15日に村主催の「敬老会」を開催したのが「敬老の日」の始まりであるとされる。
 

 

とあり、ここから国民の祝日になったのは、1966年とのこと。老人関連なのに、起源としては新しいし、成り立ちもちょっと中途半端さを感じてしまう。
 
よく言われることだが、いわゆる高齢者は、見た目も健康面でも、我々が子どものころと比べるとかなり若返っている。
一世代しか違わないのに、かなりの違っていて、高齢者の境目がさらにわかりにくくなっている。
今後さらに高齢化が進み、高齢者は増えるも、高齢者の見た目の若返りも進むと思われるが、そのような中でこの「敬老の日」の扱いがますます難しくなるのではないかと感じた次第である。
 
ということで、敬老の日って何をすればいいんだろうと思った、という話でした。