天気予報がなかった時代の天災

酷暑の8月も終わり、9月は早くも3分の1が終わろうとしているが、ここ数年でとくに夏の天候は変わったように思う。
暑いのはもちろんのこと、雨の降り方も以前とは異なり、一気に降り注ぐケースが多く、天気予報の精度もちょっと前に比べて悪くになっているようにすら思う。
先月末には、大型台風が日本列島を縦断したが、あまりに遅いスピードのため、勢力は上陸前と後で大きく変化。一方で台風がまだ到達していない関東地方のほうが雨の影響が大きかったようで、予測もしにくくなっているように感じる。
 
そんな台風の通過を見ながら感じたことは、天気予報が発達した現在でも、こんなに右往左往しているのに、天気予報のなかった時代の天災は、それこそ天からの災いという得体の知れないものだったのだろうということ。
 
今年の大河ドラマ「光る君へ」は平安時代の今から1000年以上の前の時代が舞台。今年の大河はスルーしようかなと思っていたところ、1回目を見てからそのまま継続しているのだが、そのなかで豪雨や日照りなどの天災がよく描かれている。
それこそ、この時代に天気予報は存在しなかったわけで、そうなると、1つひとつの天気の変化は、自分の生命に直結するクリティカルなものだっただろうことを痛感する。
 
そんなドラマを思い出しながら、台風のさなか、外を歩いているとき、これが台風とわかっていなければどういう心境になるのだろうか、ちょっと考えてみたのが、それはかなり怖いのだろうなと感じた。
急に風が強くなっていくのを見れば、当時は朝廷の政治が悪いから天災が起きるのだと考えても不思議ではないなとも感じたりした次第である。
 
一方で、事前にわかるからこそ、過剰な準備をしてしまうこともあるのだろうなとも思ってみたり。もちろん、その準備が空振ったからといって、やらなくてもいいというわけではないのだが、結果論として、先月の台風であれば、事前に知らなかったとしても、普通の雨だったねで終わったのだろうなとも思ったりした。
 
そんなこんなで、今年はまだ台風が発生する可能性があるし、地震なんかは今でも予測のつかない天災であることに変わりはないので、しっかりとできる準備をして備えておきたいと思った次第である。
 
ということで、天気予報がなかった時代の台風はさぞ怖かったんだろうなと思った、という話でした。