子どもは別人格である~「自分を探すな 世界を見よう」を読んで

先日、田端信太郎著「自分を探すな 世界を見よう」を読んだ。
田端氏といえば、炎上系インフルエンサーと言われているが、個人的にはそんなに変なことを言っていると思わず、至って常識的な人だと思っている(表現が乱暴だったりすることはあるが)。
これまでも、田端氏の書籍は、処女作の「MEDIA MAKERS」からほとんど読んでいると思うが、今回は子育て論を中心の内容。
昨年夏に、田端氏が13歳の長男と7歳の次男と連れた、アメリカ中をキャンピングカーでまわった旅行をきっかけに、その長男に向けた「お小言」としてまとめてのが本書とのことである。
この旅行記が中心の内容かと思っていたが、旅行に関する内容は少なく、その点についてはちょっと残念だったが、田端氏の子育てや男の人生に関する考え方がまとまっており興味深かったので、とくに印象に残った点を書き留めておこうと思う。
 
まず、子どもは別人格であると定義している点について。
そもそもの大前提だが、子どもというのは親とは血が繋がっていようがなかろうが、別の人格だ。そんな当たり前の事実を多くの人が忘れている。
家族はどれだけ近い存在であっても「別人格」という自覚を持たなくてはいけない。息子だろうが娘だろうが、どんなに可愛かろうが、やっぱり他人には違いない。
 
これは「子育ての」というよりも子育ても含めた「人付き合いの」大前提であり、基本のキだと私も思うのだけど、これを実践のするのが想像以上に難しい。
赤の他人であっても自分の考えを押しつけがちになるが、自分の子どもあれば尚のこと、その傾向が強くなる。
自分はわかっていて、子どもはわかっていないと思いがちで、とかく自分の意見に従わせようとしてしまい、さらには言うことを聞かないことに対して、ストレスを溜めがちだが、それはこの前提を忘れてしまっているから。
所詮は他人であるくらいに思っていたほうが、お互いにいいのである。この大前提を忘れずに子どもに接していきたいと、改めて実感した次第。
 
もう1つ、子育ての考え方として参考になったのが、子育てには「意味」はない、という考え方。
一部の人はこれを、子育ては無駄である、と曲解しているようだが、より正確に表現すると、子育てに意味を求めてもしょうがない、ということだと思う。
子育てで試行錯誤するのは大事なことだが、結果はなるようにしかならない、くらいに捉えておいたほうがいいということだろう。
上の「別人格」に通じることだと思うが、あくまでも子どもの人生であり、それを親が過度に意味づけしてもいいことにはならない。
このスタンスについても、常に頭の中に置いておきたい。
 
私自身、2児の父として、日々子育てに試行錯誤しているが、子どもとの向き合い方というか姿勢というか、そういった点で非常に参考になる本だった。
一方で子育ての現場では、ついつい忘れがちになりそうなので、定期的に読み返していきたいと思う。
 
ということで、田端信太郎氏の本を読んで、子育てのスタンスについて考えた、という話でした。