夏休みの宿題は親の宿題

娘(小学1年生)の夏休みも終盤戦だが、たっぷり出ている宿題もどうにか目処が立ってきた。
毎日やらないといけない類のものは継続するとして、大物がだいたい出来上がっており、あとは自由工作の完成品を作るだけとなった。
 
そんな娘の宿題だが、正直なところ半分以上は親の宿題のような印象だった。
うちの実家の母親にも応援を頼みながら、どうにかこぎつけたという感じで、親だけでなく一家総出でどうにか仕上げたという感じである。
 
夏休みの宿題を、継続するしてやるものと、単発の大物に分けたときに、小学校低学年では、どちらも親の介入が必要になる。
継続的にやらなければいけない、ドリルや計算カード、日記といったものは、毎日親がいっしょについていないと(少なくともうちの娘は)できない。
工作や研究といったものも、一人で仕上げるのは困難なので、サポートが必要になってくる(うちの娘の場合は、こちらは積極的だったので、その点はよかったが)。
どちらも種類も宿題も、親がしっかり横についてやらないと完成までもっていくのは難しい。
 
ここで言いたいのは、小学校低学年の児童に、自分では手に負えない宿題を出すべきでない、ということではない。
いや、それはそれで言いたいことではあるのだが、ここでの主題は、はじめから親がしっかりコミットしたほうがいいということ。
 
もし、子どもの宿題は子どもがやるもの、という前提で夏休みを迎えていたら、大変なことになっていただろうと思う。
もちろん、子どもの宿題は子どもがやるものなのだが、子ども「だけ」がやるものと思っていたら、1つもできていなかっただろう。放っておいたら、今の時期になってやっていないことが発覚して、それこそ大慌てな夏休み最終盤になっていたのは間違いない。
 
今回は最初に宿題が出た段階で、私自身全体感を把握して、毎日継続してやるものと、単発の大物に分けて、何をしないといけないのかを理解しておいた。親がどこまでできるかは別にして、やらないといけないことがわかっていたので、あわてることなく夏休みを過ごすことができたと思う。
 
そんなこんなで、小学校初年度の夏休みは無事切り抜けられそうなのだが、これは向こう数年続くことを覚悟したほうがいいということである。
うちの場合は、5歳下の息子もいるので、おそらく向こう10年くらいは夏休みの宿題という大きな課題があると思っておいたほうが良さそうである。
 
ということで、夏休みの宿題は親の宿題でもある、という話でした。