昨日のこのブログの記事で、娘の夏休みの宿題である自由工作をやるのに、二人でああでもないこうでもないと言いながら作ったのが楽しかった、ということを書いた。
正直なところ、最初はちょっと面倒くさいなと思っていたのだが、いろいろと話したり作ったりしているうちにこれは楽しいぞ、なっていった。
今回は、なんでそんな感情になったのか、ちょっと振り返って考察してみたいと思う。
振り返って考えてみた結果、楽しかったと思った理由が3つ思い浮かんだ。
1つは、娘との議論やアイデア出しが楽しかったから。
制作をする過程で、まずは娘のイメージを聞くところから始めたのだが、それを形にしていくたびに、それだとうまくいかないということが出てきた。
そのたびにどうするか考えて、娘が思いついたことに話したり、だったらこうすればいいんじゃないかと私が提案したり、と二人での議論が思ってた以上に盛り上がったことが意外であり、楽しかった。
単純に議論ができる相手だと感じることができ、議論するのは大人が相手でないと難しいという私の先入観を、いい意味で裏切ってくれたのがうれしかったのだと思う。
2つめ、娘の成長やポテンシャルを感じることができたから。
1つめの理由に通じるのだが、娘との議論やアイデア出しを通じて、こんなやり取りができるようになったんだ、という娘の成長に対する喜びのような感情もあった。
あわせて、娘の伸びしろというか、今後の成長のポテンシャルも感じることができ、うれしく思った。
学校の先生の話を聞く限りでは、学校の勉強(国語や算数)に追いついていけていないようだが、思っていることを形にしたり、そのために対話する能力は、現時点で十分にあるように感じることができた。
今の段階で娘自身が自信をもっている部分も伸ばしていけるよう、サポートしていきたいと思った。
3つめ、単純にものづくりの楽しさを感じることができたから。
私は子どものころから、こういった工作(や絵画)が苦手で、だからこそ好きではなかった。自由に何か作っていいと言われても困ることが多かった。
しかし、今回娘にこういったものを作りたいと言われて、それを形にしていく作業は純粋に楽しく、私としては意外だった。
もしかすると、子どものころはイヤイヤやっていたから、ますます嫌になっていくサイクルにハマっていたのかもしれず、どこかで真剣に考えて前向きに取り組んでいたら、こういうのももっと楽しめたのかもしれない。
と、こんな感じで、娘との自由工作が楽しかった理由を考察してみたわけだが、この自由工作、まだ試作段階で完成まで至っていない。
残りの休みを使って、本番の制作に取り組みたいと思っているのだが、試作段階からまた議論重ねて、どんなものができあがるか、今から楽しみである。
ということで、来年以降も工作や自由研究などの娘の宿題を、私も前向きにサポートしていきたいなと思った、という話でした。