子どもは見たことあるものしか創造できない

最近の私の課題は、娘(小学1年生)の夏休みの宿題をどうこなすかで、とりあえず計画というか宿題リストをつくって取り組んでいる。
いわゆる夏休み帳や日記に絵日記、あさがおの観察に加え、絵画や工作、自由研究など盛りだくさんである。
1年生からこんなに宿題出さんでもいいのにと思ってしまうが、仕方ない。子どもに任せておいては終わらないので、親もがっつりサポートしないといけない。
 
さて、そんな中、図画工作の宿題は、貯金箱を作りたいと娘が言うので、これに取り組むことにした。
さっそく作りたいと言い出したが、貯金箱を作るには、まずは2つのことを決めないといけない。1つはデザイン、もう1つは、どんな素材で作るか、である。どんな形の貯金箱にしたいのか、それを表現するために、紙粘土を使うのか、ペットボトルを使うのか、デザインと素材を行ったり来たりしながら考えないといけない。
 
この2つをどうするか。娘と私で考えてもアイデアに限りがあるので、ウェブで紹介されている貯金箱を見ながら、どんなものを作りたいかイメージを膨らませることにした。
それこそ無数の貯金箱が紹介されており、中にはアイスの棒でつくった貯金箱も紹介されており、クリエイティブな人はいるんだなと感心したりした。
 
そんな作品集を見ながら、娘と話し合い、紙パックと紙粘土を使って家の形の貯金箱を作ることした。紙粘土を発注して、今度の週末にでも作成に取り掛かろうと思っている。
 
さて、どう作るかを考える過程で思ったのは、子どもは見たものしかイメージができない、ということ。
よく、こういった図画工作の作品は、子どもの発想で一から作るのが良いことだと思われているが、それには無理がある。子ども(に限らず大人もそうだが)は、見たことないもの作ることはできないのである。
よく、ものづくりとは、これまでにあったものに付け加えたり、組み合わせたりすることで行われるというが、まさにそのとおりで、見たものが少ないと創造的な発想は出て来ない。
子どもはその定義上、まだ経験が浅く、それまでに見たものが少ないため、新たな発想なんて出てこないのである。
 
ということで、うちの娘もどこかで見たことあるような貯金箱を作ることになるかとは思うが、それでいいんだと思う。
自分で作って、他にもいろいろな作品を見て、そしてまたアイデアが思い浮かぶ、今回の夏休みの宿題が、そんなサイクルの起点になればいいなと思った次第である。
 
ということで、夏休みの宿題は大変だ、という話でした。