津波避難タワーの違和感

先日、出張で高知に行く機会があった。
どこの地方に行ってもロードサイドの風景は画一的になっていると昨日のこのブログでも書いたが、他の地域とは大きく異なるものがあった。
 
それは、ここかしこに建っている津波避難タワーである。
文字通り、津波が来たときに避難するためのタワーで、鉄にメッキした素材で作られた10m程度の高さのタワーで、収容人数が1つのタワーで100~200人程度とのことである。高知県ではこういったタワーが110基あるようである。
 
イメージは↓のリンクから確認
 
車で走っていると、5分おきくらいに見えてきて、この風景は他ではない。
見た目もまだ新しく、東日本大震災後に作られたもののようだ。
高知の海岸から見る太平洋は、瀬戸内海と異なり小島もなく、近海での地震だけでなく、地球の裏側で起こった地震であっても津波が押し寄せる可能性もある。
南海トラフ地震も想定されており、東日本大震災を通じてこういった津波に対する備えが必要なのはよくわかる。
 
ただ、である。
次々に現れるこの建造物を見ていて、違和感を覚えた。その違和感の正体はなんだろうか、と考えた結果、3つの理由が思いついた。
 
1つは、避難人数の偏り。
この避難タワー、私の感覚ではあるが、等間隔くらいに点在しているように見えた。しかし、人が住んでいる場所や活動している場所は偏在していることが多いので、実際に津波が起きたときに、あるタワーには人が集中して、あるタワーにはほとんどいないなんてことが起きるかもしれないといったことが起こるのではないかと感じたというわけである。
他の避難用の建築物と合わせて、まわりの人口と整合性が取れているのか、ちょっと心配になった。
 
2つめは、タワーの構造。
この津波避難タワー、いろいろな構造のものがあるらしいが、基本的には10mくらいの高さで、一番高い位置には屋根がついていない。
東日本大震災では津波が引くまでに、数時間かかったと言われており、中には一晩学校の屋上で過ごしたという話も聞いたことがある。
中には居住スペースや食糧も備蓄しているタワーもあるらしいが、こういったものはおそらく稀で、季節や天候によっては、雨ざらしでかなり冷え込む可能性があり、地震津波が起こるタイミングによっては、かなり過酷な事態になるかもしれない。
 
3つめは、避難後の状況について。
実際、津波が起きたとき、このタワーのおかげで多くの人が助かったということになるかもしれない。
ただ、その後どうなるのだろうか、と思ってしまった。こういったタワーが現実に必要になるということは、相当の被害が出ていることになる。
となると、当然家に戻ることもできず避難生活になるだろうし、その後の復興作業もかなり大変なものになると予想される。
もちろん、津波への対策はこのタワーだけではないだろうが、なんとなく片手落ち感が否めないと思ったというわけである。
 
と、こんな感じで、津波の避難タワーを見て感じた違和感をまとめてみた。
要はもっと抜本的な対策が必要ではないかと思ったわけだが、一方で予算も無限にあるわけではなく、とりあえずは一人でも多くの命を守るという意味では、タワーの建設は費用対効果に優れているのかもしれない。
地元の人間ではないので、どういった議論がなされているのかはわからないのだが、震災対策においては限りある予算をどう使うかという問題は、いろいろと難しいのだろうなと思った次第である。
 
ということで、津波避難タワーの違和感の理由についての話でした。