緩やかなデフレのコスト

先日読んだ「物価とは何か」の中で、「緩やかなデフレのコストは何なのか」という問いが立てられており、印象に残った。
 
ここ20年以上続いた日本のデフレは、大きな特徴が2つとあると紹介されている。
1つは長期に渡って続いていること。
もう1つは、デフレ率は大きいときでも2%程度で、均してみれば1%弱と小さいということ。
日本のデフレは緩やかだから、長引いているのかもしれないとも著者は言及している。
 
さて、この緩やかで長期に渡るデフレ、そのコストは何のなのか。
この問いに対しては、著者は価格支配力の喪失であると、グリーンスパンの説を紹介している。
デフレが定着すると、少しの値上げでも顧客が逃げてしまうのではと企業がおそれるようになり、原価が上昇しても企業は価格に転嫁できないという状況が生まれる。価格を上げることができない企業は減量品の開発に着手して、いわゆるステルス値上げを実行し、利益を確保する動きに出るようになった。本来であれば、そんな減量品の開発にリソースを投入せずに、本物の商品開発に使えば、これまで見たことない新しい商品の開発もできたかもしれず、各企業のみならず、日本経済全体を歪ませしてしまった可能性もあるとしている。
 
私はこれまで、デフレの影響とは、需要側・消費者側にあると考えていた。
日本の製品やサービスの価格が上がらず、賃金が上がらないということは、海外の製品・サービスに対して競争力が落ち、徐々に海外のものが買えなくなっていく、だんだんと日本の消費者の購買力がなくなり、みんなで貧乏になっていく過程なのだと捉えていた。
 
しかし、この見方は、供給者側・企業側にも大きな影響を与えていることを示唆している。
デフレによって価格据え置き慣行になれてしまった消費者をおそれるがあまり、企業が値上げを回避して、本来しなくてもいいことに力を入れる必要が出てきて、リソースの配分が歪むことで、企業の競争力も削られてしまっている、ということに気づきを得ることができた。
短期間であればそれほど問題ではなかったのかもしれないが、ここまで長期に渡ることで、日本企業の競争力を大きく後退させる結果になったのかもしれない。
 
そう考えると、昨今の値上げ機運というのは、このデフレないしは日本人の価格据え置き慣行から脱する、千載一遇のチャンスなのかもしれない。
ここで正常化できるのか、それとも一時のインフレから景気後退へと突き進み、気づけばまたデフレに逆戻りするのか。
政府に適切かつタイムリーな施策を期待するとともに、一経営者として何ができるのか考えてみたいと思う。
 
ということで、デフレの供給者側への影響について理解できた、という話でした。