マインドフルネスと朝風呂

先日、とあるマインドフルネスに関する研修を受けた。
マインドフルネスという単語はここ数年よく聞くようになり、瞑想のようなイメージがあったのだが、興味があったので受けてみることにした。
この研修で理解できたこと、考えたことがあるので、ここで簡単にまとめておきたいと思う。
 
まず、マインドフルネスとは何か。
この研修では「今に気づいていること」と定義されており、無になることとは違うと紹介されていた。何か考えていていたとしても、それに気づいていれば、それはマインドフルネスの状態にあると言える。
 
この「今に気づいていること」というのは、言うは易く行うは難しの典型で、誰にもできることだが、いざやろうとすると思考はあちこちに飛んでしまい、今に気づいていない状態になってしまい、実践するのは意外に難しい。
人間の脳はデフォルトモードネットワーク(DMN)というものが働いており、自然と雑念が湧いて、注意散漫になるようにできているとのことで、放っておけば今に集中できないのが当たり前なのである。
この注意散漫になっていることに気づき、今を取り戻すのがマインドフルネスというわけである。
 
その、今に気づいている状態になるための方法論の1つとして、呼吸による注意力を高めるトレーニングが紹介されていたが、簡単に説明するとこんな感じである。
 
呼吸に注意を向ける
注意がそれる、雑念がわく
注意がそれたことに気づく
注意を戻す
呼吸に注意を向ける
 
この繰り返しである。
 
この方法について聞いていて、私は似たようなことをやっているなと思った。
それは、朝風呂である。
 
私はほぼ毎日、朝風呂に入っているのだが、夜入る風呂とは違い、子どももいなくて一人になれるので、好んで入っている。

その際、ここで紹介されているような呼吸による注意力を高めるトレーニングと似たようなサイクルで入っていることに気づいたというわけである。

湯船につかって、目を閉じて深呼吸をする、すると頭の中で勝手にいろいろなことを考え出す。どこかのタイミングでいろいろと考えていたことに気づく。また深呼吸をする、すると勝手に考え出す…。これを2,3回くらい繰り返して風呂から出るのが定番のルーティンになっている。

 
マインドフルネスにおける呼吸のトレーニングとの相違点は、雑念が湧いて頭の中で考えだしたときに、無理にそこから戻ろうとはしないこと。
今回の研修でも紹介されていたが、DMN自体は決して悪いものではなく、これによって発想やヒラメキが湧くこともあったりするとのことだった。
実際、私もこの朝風呂の時間でいいアイデアを思いつくことがたまにあったりする。
 
だとすると、このマインドフルネスとDMNによる自然の思考をうまく使い分けられるといいなと思った。
今に集中すべきときと、リラックスした状態で脳を(勝手に)働かせるときを、コントロールして行き来できるようになると、知的生産がこれまで以上に効率よくできるかもしれないと思ったわけである。
 
どうすれば、そういったことができるようになるかは、今回の研修では説明はなかったが、まずはマインドフルネスの状態にもっていけるようにすることからはじめるのがいいかと思った。
その延長線上で、マインドフルネスな状態とDMNが働いている状態を行き来できるようになるのではないかと考えているのだがどうだろうか。いろいろと試してみたいと思う。
 
ということで、朝風呂でマインドフルネス(とその応用)を実践してみたいと思った、という話でした。