子どもの写真はけっこう撮っているほうだと思うのだが、たまに娘(現在6歳)の写真を見返すと、たまらなくかわいい。
親バカは承知の上だが、とくに1歳過ぎあたりから幼稚園に入るころまでの写真を見ていると、かわいかったなあとなる(幼稚園に入ったころからは見た目が大きく変わっていないというのもある)。
それに比べて、今の娘は言うことは聞かないし、口ごたえは日常茶飯事。生意気盛りである。そんな娘を見ていると、小さいころはかわいかったのに、いつからこんな生意気になったんだと思ったりする。
駄々をこねたり、言うことを聞かない姿を見ていると、ふとまだ小さかったころの娘に会いたいなとなんて思うこともしばしばある。
なんてことを思いながら、目を横にやると、もう少しで1歳半になる息子がいる。
こちらはこちらで、動き回れるのがうれしいのか、ちょっと目を離すとどこかに行ってしまう。そして、そこかしこにモノを散らかしたりしている。私のカバンも物色して、中身をバラバラに出してくれたりしている。他にも、ウォーターサーバーの水を勝手に出したり、トイレの便器に手を突っ込んでみたりとやりたい放題である。
とりあえずコミュニケーションが取れて、予想外の行動をしなくなるくらいまで早く成長してほしいなと思ったりする今日このごろである。
と、ここで気づくわけである。
会いたかった1歳児はここにいるし、もう少し成長した先の幼児も同じくここにいることに。方や昔がいいなと思いながら、もう一方では早く成長してくれと、自分でもわがままなことを考えているなと思ってしまう。
娘が今の息子と同じくらいのときは、たぶん今以上に大変だったが、大変だったことはスッポリ抜け落ちて、かわいかっただけが残っている。
息子が娘くらいの年になったらどうなるのかわからないが、おそらく同様に生意気なことを言い出しているだろう。
過去や未来はいい面だけがクローズアップされて脳内に再生されるが、現在は大変なこともあわせて存在しており、どちらかというとそういった大変な方に意識は向いてしまう。
でも、間違いなく5年後くらいには、息子を見て1歳ごろはかわいかったのに、となるはずである。それであれば、(大変なことも含めて)今の姿をきちんと記憶に残しておきたいし、今5年後から来たくらいの気持ちで息子と接したいと思った次第である(娘も同様)。
ということで、子どもの未来や過去は美化される、という話でした。