予想が願望に変わってしまう危険性

新型コロナの新規感染者数が全国的に減ってきて、コロナ禍は終息したようなそんな雰囲気になってきている。
それ自体はいいことで、このまま感染再拡大しないに越したことはないが、おそらく再度流行期が来ると私は予想している。
 
そんな中、先日東京で実行再生算数が1を超えたので、これはまた感染拡大期に入るのだろうと思っていた。
 

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しかし、ここ数日の新規感染者の推移から、昨日東京都の再生産数は再度1を下回った。

 

これ自体は喜ばしいことなのだが、正直なところ、コロナは終息してほしいという思いと、自分の予想が外れるのではないかという不安が、自分の中に同居していることに気づいた。
悪い予想であっても、一旦口に出してしまったがために、その予想が外れることに対する不安感のようなものが出てきているのである。
なぜ、新規感染者数は増えないんだ、そういった感情も少しあることに気づいたというわけである。
 
そんな自分の感情に気づき、これはちょっと怖いことだと感じた。
あくまでも予想は予想なのだが、悲観的な予想が願望に変わってしまう危険性は大いにある得るのだと思った。
 
冷静に考えてみると、自分の予想を発してしまったがために、それが実現するような影響を及ぼそうとしてしまうようなことは、けっこう起こりうることかもしれない。
 
経営的なジャッジをしなければいけない場面でも、いろいろな予想をすることはよくある。
悲観的な予想をしたとして、そうなってほしいと思う必要はないのだが、自分が悲観的な予想をしたがために、悪い方向に導くような圧力をかけるようなことがないとは言い切れない。
全体の幸福よりも自分のメンツを守りたいという気持ちが出てくることは十分あり得るのである。
 
幸いというか何というか、コロナの感染者数については、自分がどう予想しようが、どんな願望があろうが、大勢に影響を与えることはない。
しかし、自分の判断が影響を及ぼすような局面においては、悲観的な予想を公言してしまったがために、自分のメンツを守る目的で間違ったジャッジをしないよう心がけておかないといけないな、と思った次第である。
 
ということで、依然コロナの第6波は来ると予想するが、このまま収束としてほしいと思う、という話でした。