腕立て伏せ毎日100回やってみて気づいた、可処分思考の問題

昨日の記事では、このお盆休みで腕立て伏せを1週間毎日100回やってみた感想を書いた。
最初から30日やろうとするのではなく、まずは1週間だけやってみると感じで、こういった目標は「集中化」させたほうがいいということが結論であった。
 
これに加えて、気づいたことがあったので、ここに残しておきたいと思う。 
それは、腕立て伏せをやるということを忘れないようにすることと、何回やったかを覚えておくことが、ちょっとだけ、しかし確実にストレスだったということ。
 
1週間やると決めたので、決めたからにはやろうと思って取り組んだのだが、何か他のことをしていると、腕立て伏せをやらなければならないということを忘れてしまう可能性がある。忘れたまま寝てしまえば、毎日やるというチャレンジはそこで終わってしまうので、頭の片隅に置いておかなければならない。
この1週間でも何回かあったが、夜になってやるのを忘れていたことに気づき、ハッとすることがあった。
この、忘れてはいけないというプレッシャーが可処分精神をちょっとだけすり減らすような感覚がしたのであった。
 
これと似て非なるのが、何回やったか覚えておくということ。やることを覚えておくことと、何回やったかを覚えておくことでは、ちょっと違うストレスを感じる。
あれ、今日はこれまで何回やったっけ?となることがしばしばあった。あそこで10回、あのとき10回と数え直す作業は、これはこれで(大したことではないが)ストレスであった。
やること自体を覚えておくことが可処分精神を使うのに対して、何回やったか覚えておいたり思い出したりするのは可処分思考を消費しているという感覚であった。
思考の絶対量は1日で総量が決まっていると思っているのだが、そのわずかであるが、回数を覚える、思い出すという作業で消費してしまうのである。
 
やってたかやっていないか、0か1を判断するような目標であれば、この2つ目のストレスは感じない。例えば、ブログを毎日更新するということであれば、1つ目のストレスはあっても、2つ目のストレスはない。
しかし、この腕立て伏せのような回数を数えるような類のものは、その回数を数えること自体が、ちょっとストレスで、貴重な思考の量が少しずつ目減りしてしまうのである。
 
これに対する改善案としては、毎度スマホにメモするなどのことも考えたが、これだと思い立ってもスマホがないとできなくなるし、入力しないといけないからと後回しにしては本末転倒なので、却下。
結局思いついたのは、朝50回、夜50回といった感じで、時間と場所でやる回数をルーティン化するということ。妙案とは言い難いが、とりあえず30日続けてみようと思っているので、いろいろと改善を加えながら取り組んでみたいと思う。
 
ということで、ただ腕立て伏せを毎日やるという行為の中にもいろいろな気づきがあった、という話でした。