メダル数を最大化する戦略はかなりわかってきています。例えばサッカーはレベルが高い上にたくさんの選手を強化しなければならないですがメダルは取れても一つです。一方で、個人競技では一人が複数個取ることも可能です。当然投資対効果で言えば個人競技の方が効率が良いことになります。
— Dai Tamesue 爲末大 (@daijapan) 2021年8月6日
メダルの獲得数の最大化を目標にするのであれば、個人種目を強化したほうがいいし、競技人口がより少ないものに投資したほうがいいということだが、為末氏自身はメダルの獲得数の最大化には反対という姿勢で、メダリストの最大化や、競技ごとでインパクトに傾斜をつける必要がある、と持論を展開していた。
このツイートを見て思ったのだが、オリンピックのメダルはどの競技のメダルも価値は同じなのだろうか。
本来、メダルの価値は競技人口に左右されるはずである。全世界で多くの人がプレーしているスポーツのほうが、その競技や種目で世界一になるのは難しい。
同じ陸上競技であっても、やはり100mのメダルが一番価値があるということに異論がある人は多くないと思う。
一方で、オリンピックでは各種マイナー競技も多く実施されており、新たな競技も徐々に追加されている。オリンピックを契機にこういったマイナースポーツの競技人口が増えていくという現象も見られる。
メダルの価値という意味では、陸上の男子100mと(例に出して申し訳ないが)スケートボードの種目とで、本来同じ価値があるとはちょっといいにくい。
しかし、オリンピックではあたかも同じ価値があるという建前があり、その建前のもとで運用されている。
このこと自体は決して悪いことではなく、よりマイナーのスポーツが脚光を浴びるという点ではむしろいいことであると思う。あたかも、メジャースポーツとマイナースポーツのメダルの価値を等価に見せるところがオリンピックのうまいところかもしれない。
日本でもオリンピックのときにしか見ない競技は多いが、そういった競技でもがんばればオリンピックに参加でき、メダリストになれるかもしれないということで、競技人口を増やすという絶好のプロモーションの場になっている。
ただ一方で、競技数を増やすということは、メダルの価値を下げてしまうというリスクも孕んでいる。
無秩序にオリンピックの競技数も増やしてしまえば、そのメダルの価値自体が毀損してしまうことになりかねない。
新たな競技を入れて、新しい観戦者やよりオリンピックに興味関心をもつ層を増やしたいという思惑も、IOCはじめオリンピック関係者にはあるだろうが、それによるメダルの価値低下(=オリンピックのブランド価値の低下)と、その結果としてのオリンピック離れというリスクを考えると、競技数・種目数の増加というのは諸刃の剣と言えよう。
このあたりのマネジメントは、オリンピックのブランドを維持するためのキモであり、その運用は思っている以上にセンシティブなのかもしれない。
ということで、オリンピックはすべての競技のメダルの価値を同じ見せるのがうまい、という話でした。