自分が意思決定者だったら、観客を入れるか入れないかを考えてみる

昨日のこのブログの記事で、オリンピックに観客を入れるかどうかは、どっちでもいいから早く決めるべきだということを書いた。
ほんと、どっちでもいいので、チケットを持っている人や現場のオペレーションに携わる人のためにも、早く決めてあげてほしいと思う。
 
ただ、せっかくなので、なかなかないケースとして、自分だったら有観客か無観客か、どう意思決定するか考えてみたいと思う。
 
結論から言うと、私なら無観客にすると思う。
もちろん、有観客・無観客での収入の違いがどのくらいあるのか、スポンサーとの契約内容がどうなっているのか、といったことはわからないので、このあたりを考慮せずに、ただただ無責任に考えた結果である。
 
無観客にすると考えた理由は2つ。
 
1つは、オペレーションが圧倒的に楽になるだろうから。
無観客にすれば、来場する人が格段に少なくなるので、現場のオペレーションはかなり楽になるはずである。
今回のオリンピックの目標をどこに置くかにもよるが、今回に限れば無事にきちんと開催する、というラインを超えることができれば十分だと思っている。
スケジュール通りきっちりこなすことを優先するのであれば、おそらくこのコロナの状況で準備もしっかりとは進んでいないことも考慮に入れて、できる限り現場でやることは間引いたほうがいいと考える。
 
もう1つは、こっちのほうが理由としては大きいのだが、再度意思決定しなくていいから。
仮に現時点で観客を入れると決断して、オリンピックが始まる直前や始まった後に感染者が急増したとする。そうなると、再度無観客にするかどうかの意思決定をしないといけない。これが大変である。
逆に、無観客ということしておけば、はじめてみたら感染者が少ないのでやっぱり観客入れます、ということにはならず、再度意思決定しなくてもいい。
自分が意思決定する立場だったら、また迷いたくない。ここでケリをつけたいと思う。
意思決定の回数を減らすという意味で、無観客を選択する。
 
これは今回のオリンピックは無観客にすべきという意見ではなく、自分だったら、楽な方向に走って無観客にしてしまうだろうなということである。
 
なので、(誰が最終意思決定者なのかよくわからないが)肚をくくって、それでも有観客でやる、と決めるのであればそれはそれで尊重したいし、その決断はすばらしいと思う。
どっちに転んでも、それなりの効用とコストとリスクはある。最終的には誰かがエイヤーで決めないといけないので、決まったのならそれをとやかくいうのは避けたいところである。
 
ということで、最後は意思決定者を尊重することが大事である、という話でした。