「キャリアショック」に見る、キャリア自律という意識がない人への対応についての考察

最近「キャリアショック」という本を読んだ。
著者は、私が大学時代に最も面白かった授業「人的資源管理論」を担当していた高橋俊介氏。私は彼の授業を聞いて、人事という分野がこれほど面白いものかと影響を受け、外資系IT会社の人事として社会人としてのキャリアをスタートさせた。
個人的にかなり影響を受けたのだが、その高橋氏の著書を久しぶりに読んだみた。
まずタイトルになっているキャリアショックとは、特定企業との雇用が短くなるという側面だけでなく、自分の歩んできたキャリアがある日突然陳腐化して、描いていた将来像があっという間に崩壊してしまうことも含めて、著者はそう呼んでいる。
特定の事例として、ルノー傘下に入った日産の例などを取り上げ、それまでとはまったく違った仕事のやり方が求められ、これまで築いてきたやり方や人脈が通用しなくなるということを説明している。
 
さらには、そのキャリアショックの対処するために、「キャリア自律」という考え方を提唱している。読んで字の如く、キャリアを会社主導ではなく、自律的に自ら構築していくべきであるという考え方である。
自分がどういうときに力を発揮しやすいかという動機を知り、それに見合ったコンピタンシー(思考特性・行動特性)を伸ばし、自ら仕事を選びつくりだしていく、そんな姿勢が求められると説いている。
会社の側も、ただひたすら雇用を守るというスタンスではなく、個人のキャリア自律をサポートする体制をつくることが求められる、と主張している。
 
さて、私自身は大学時代から、こういった話を聞いて育ってきたので、「キャリアショック」や「キャリア自律」といった話はごく当たり前のものとして認識している。
前職でも、定期的に行われる配置転換やリストラなどを、人事として経験をしてきたこともあって、キャリアとは自分でつくるものだという姿勢は当然のこととして身についているつもりである。
 
ところが、今のうちの会社(地方の中小製造業)でこの「キャリア自律」という概念を理解している人はほとんどいない。関連する大企業が吸収されて大きな影響を受けているので、キャリアショックが起こっているということは目にしているが、それでもその処方箋としてキャリア自律が必要だという認識はない。というか、キャリア自律という概念自体がないと言ったほうがいいかもしれない。
実感値として、キャリアは自分でつくるものだという姿勢でいる社員は、うちの会社では1割もいないであろう。
会社は個人を雇用する責任があり、管理職は部下にきちんと仕事を指示する必要がある、というパターナリズムな感覚の社員がほとんどである。キャリアどころかジョブ(具体的な仕事)についても、基本的には会社側が用意すべきものと認識している社員が多い。
このこと自体を良いとか悪いとか言うつもりはないし、そういう環境で育ってきたのだから仕方がない。
 
しかし、ここにきてうちの会社を取り巻く環境も大きく変わってきた。
業界内ではM&A合従連衡が相次ぎ、なかには工場ごと閉鎖というケースも出てきている。幸い、うちの会社に大きな火の粉が降りかかることは今のところないのだが、今後どういったことになるかわからない。
もちろんできる限り雇用を守りたいとは思っているが、大きな嵐が吹き荒れたときに、それがどこまで実現できるか正直なところわからない。
 
それであれば、あらかじめキャリア自律の概念を伝えておくべきなのだが、そうなると経営者として雇用を守るつもりがないのか、となってしまいかねない。なかなか舵取りが難しい時代になってきていると感じている。
 
とは言え、手をこまねいていても時間は過ぎるだけなので、当面は一足飛びにキャリアの自律を促すのではなく、その手前として、自分の仕事は自分で考えるものである、自分の仕事を自分で改善していく、という思考をもってもらうことが現実的かと考えている。
仕事は上司から指示されるもの、上から降ってくるものという感覚ではなく、自ら考え、自ら改善し前進させていくものだ、という感覚をもって仕事の臨んでもらう、そんなところからはじめていきたい。そして、そういった感覚が身についていけば、仕事として求められる能力の幅も広がり、何か大きなうねりに巻き込まれても、自力で生きていける可能性が増えるのではないかと考えている。
 
この本の中にも「船はできるだけ沈まないように設計する。だからといって、救命ボートの数が十分なくてよいという話にはならない。」とあるが、まさにそういった心境である。
 
ということで、いよいよキャリアショックの波が地方にも中小企業にも降りかかる時代になってきた、という話でした。