自分がほしいと思うかどうかという基準

先日、教育系YouTuberの中田敦彦氏が、顔出し引退を宣言し、数日後にそれを撤回したとことが話題になった。
 
私も、顔出し引退宣言と撤回の動画を両方見たのだが、その両方とも理由が理路整然と説明されていた。
顔出し引退の理由は、主にプライベートの問題。顔を晒し続けることでの有名税は高すぎるということと、顔を出さなくてもテクノロジー的にも芸風的にも問題ないだろうということで判断したのことだった。
一方で、撤回のほうの理由は、中田敦彦という商品は機能型商品だと思っていたが、エンタメ型商品であることに気づき、それであれば顔出しはしないと成立しないということがわかったとのこと。
大きな実験であったが、その実験自体が失敗だということがわかったので、やめることをやめると決断した、ということであった。
 
これに対して、世間では賛否両論あるものの、おそらく賛成のほうがかなり多く、私としてもこうやって前言を撤回できる決断力は素直にすごいなと思った。
その前言撤回もすごいことなのだが、それ以外にも2つほどすごいなと感じたことがあった。
 
まず1つ目が、自分がほしいと思えるかどうかという基準で判断しているということ。
前言撤回動画の中で、本人が言っていたのだが「(顔出しなしのアバター動画を)自分が見ていて11分くらいできつくなった」と解説していた。
撤回の決め手は、自分が見ての違和感だった、と言っているのである。
コメントなどで顔出し引退をやめてほしいという声は大きかったと思うが、そこが撤回の直接の理由ではなく、あくまでも自分の感覚を起点にしていると私は解釈した。
 
この感覚は非常に大事だと感じた。
自分という客が、ほんとに自分の商品を買いたいと思うかどうか、という感覚である。
 
私たちは、何かモノを売ろうとするときに、いろいろな仮説を考え施策を実施するのだが、自分が買い手だったら買うかという視点はスルッと抜け落ちてしまうことが多い。
自分が買い手のときは厳しい視点で商品を判断するのに、売り手に回った途端、多くの人が簡単に買ってくれると思い込んでしまう。
 
今回の顔出し引退の件でも、自分の仮説(顔を出さなくてもやっていける)が正しいはずだという思いも中田氏の中にはあったはずである。
それを冷静に、自分が1人の客(視聴者)として見たときにどう感じるかを見極めている。
そして元の仮説(売り手の論理)よりも、その見て感じたほう(買い手の感情)を優先させているのである。
 
これは、言われてみれば確かにそうなのだが、実際は言うは易く行うは難しの典型かと思う。
 
もう1つが、お客さんが自分の商品の何に価値を感じているかを正しく把握しているということ。
自分で動画を見返して、違和感があったということだったが、ここからさらに、お客さん(視聴者)は「中田敦彦YouTube大学」の何に価値を感じているのかを深堀りしているのである。
当初の仮説では、情報や喋りに意味があるのであって、顔が出ているかどうかは大きな問題ではないと中田氏は考えていたが、深堀りして考えた結果、実は中田氏の表情や動きまでに価値を感じていたのだと分析している。
いわゆるアバター系YouTuberとの差別化はその点にあり、顔出し引退を試みてみることによって、中田氏自身そのことに気づけたというわけである。
ただ漠然と違うな感じるだけでなく、どこに価値があるのかを見極めるところまで冷静に踏み込んで分析しており、非常に参考になった。
 
以上のように、今回の撤回動画、非常に学びの多い内容であった。
とくに、自分たちが提供しているものを、自分がほしいかという視点で見ることは思っている以上に難しいので、この視点は忘れないよう心がけたいと思った次第である。
 
ということで、まずは自分が一番最初のお客さんという感覚を持ち続けたい、という話でした。