プロ野球順位予想に見る、予想と願望の違い

球春到来ということで、今週末からプロ野球が開幕する。
今年は例年通りの3月末に開幕できるということで一安心。143試合、無事に終わってほしいと思う。
 
さて、開幕前のこの時期、いろいろなメディアで解説者の順位予想が出ている。
多くの元プロ野球選手の解説者が、スポーツ紙やスポーツ番組で優勝予想や順位予想を繰り広げている。
この時期、そういった予想を見るのは楽しいのだが、よくよく見てみると、自分が所属していたチームの優勝を予想する解説者が少なくなく、それは予想ではなく、願望ではないかと思うことがよくある。
 
予想とは、将来どうなるかを当てようとすることである。
それなのに、こうなってほしいということに置き換わっているケースが多い。
さすがにそれはないだろうという願望を予想として出しているのである。
そのことで、誰かに迷惑をかけることもないし、ほとんどが検証されることもないので、とくに問題はないのだが、予想を聞かれたら予想を答えてほしいなと思ったりする。
 
これと同じようなことは、仕事の場面でもよく起こる。
今後の売上や利益など業績に関する予測について、社内の管理職に質問すると、予測ではなく願望や目標が混ざるのである。
 
こちら(経営者である私)としては、これからどうなりそうかという予測を聞いているのに、「このくらいいってほしい」とか「このくらいまではがんばります」といった具合の回答になるのである。
質問をそのまま受け取って回答してほしいのに、勝手に解釈を加えて理解し、回答するのである。
 
聞かれたほうからすると、その予測が目標よりも低かった場合、何を言われるかわからないという防衛反応なのだろう。
しかし、こちらが知りたいのは見通しないしは、その根拠なので、こういった場合、願望ではなく予測を聞かせてくれと聞き直すようにしている。
 
正直なところ、この予測と願望や目標を混ぜないでほしいといつも思う。
目標は目標で大事だし、そこを目指してやるのだが、現実が目標からかけ離れているのであれば、それにあわせて対策をうたなければならない。
仮に予測と願望が入り混じった回答を聞いて、甘めの認識をしてしまい、それをもとに対策がなされた場合、間違った対策になってしまう可能性もあるのである。
 
予測と願望を切り分ける、聞かれたことにきちんと答える、こういった基本的なことをきちんとできるように、口を酸っぱくして言い続けなければいけないなと思った次第である。
 
ということで、プロ野球の順位予想を見ながら、いつも思っている不満を思い出したという話でした。