総会における予定調和の中にある緊張感

前回のこのブログにも書いたように、昨日うちの会社の株主総会が開かれた。
 
株主総会といっても、会社の会議室に10名程度の株主が集まるだけの会だが、今年はコロナの影響もあってか例年以上に参加者は少なかった。
参加者も現役役員に加え、元役員くらいで、中には厳しいことを言ってくれるOBもいたりするが、基本勝手知ったる人ばかりである。
 
株主総会の議事としては、業績の報告並と役員の改選が主なところで、毎年質問や意見などは出てこない。
例年15~20分くらいで終わる、ほんと簡単な総会である。
 
そんな総会なので、代表としての挨拶も、議事の進行も、とくに緊張することはない。
今回も多少噛んだりすることはあったが、滞りなく終えることができた。
 
ただ、そんな表向きはとくに緊張しない会なのだが、それでも終わるとほっと一息ついて、肩の荷が降りた感じがするから面白いものだ。
質問や意見が出ないとわかっているし、仮に意見が出たとしても、株の大多数は私が保有しているので、波乱が起きるようなことはないのだが、何かあったらと身構えているのだろう。
終わった後はなんとも言えない安堵感に包まれるのである。
 
会社だけでなく、地元の団体や業界団体で役員や代表として、総会に参加することがある。
数年前に地元の団体の代表を努めたことがあったが、公益社団法人ということもあり、代表の選任、事業計画・予算、事業報告・決算で、1年度ごとに都合3度の総会があった。
代表の選任では、自分しか立候補していないので、決まることはわかっているのだが、それでも採決の際にみんなが挙手してくれるか緊張したものである。
予算や決算の報告においても、基本的に質疑は出てこないのだが、それでもある程度は想定問答を頭を入れて、身構えておかなければならない。
 
それまでは、自分は一会員てして議決権はあるものの、基本的にはワンオブゼムであった。
総会なんてものは、予定調和でひっくり返ることもないのだから、さっさと終わればいいのに、くらいしか考えていなかった。
しかし、逆の立場、代表として総会の責任者となると、風景が大きく変わるのである。
 
よほどの大企業や大きな団体でもなければ、総会という場は基本予定調和で進む。
それでも、会社や団体の代表として総会を運営する立場する側からすると、なんとも言えない緊張感があるのである。
 
ということで、総会とは立場によって見える風景がまったく異なる非対称な会である、という話でした。