書くことによって自分を相対化する

今日、うちの会社の株主総会があった。
例年同様、とくに問題もなく終えることができたのだが、それでも無事に終わると肩の荷が降りた感じがする。
 
昨日のこのブログで、夕食時に妻とけんかをした、という話を書いた。
今考えればほんと他愛もない話なのだが、翌日に控えていた株主総会前で少しナーバスだったのか、妻の一言に私がキレてしまった。
普段であれば、夕食後は二人の子どもを風呂に入れるのだが、それもせずに一人で入り、風呂から出て部屋にこもった。
 
そんなイライラがMAXになっている中、一瞬不貞寝しようかと思ったが、毎日更新を続けているブログがここで途切れるのはいやだなと思い、とりあえず書くだけ書こうと思った。
何について書こうかちょっと考えたのだが、ちょうどいいので、このけんかのことと昔あった似たことについて書いた。
 
すると面白い心境の変化を感じた。
それまであったイライラが落ち着いてきて、冷静になってきたのである。
おそらく、書くという行為によって、外側から観察するような視点になり、自分を相対化できたのだと思う。
外から見た自分をちょっとだけ客観的にみることで、怒りの感情がすっと小さくなっていったのである。
 
そうやって考えると、日記を書くのも同じような効用があるのだと気づいた。
その日にあったことや感じたことを、ちょっと時間がたった段階でまとめることで、自分を相対化でき、感情を落ち着かせることができる。
腹が立つようなことであっても、それを書くことで、自分とはちょっと距離を置いた感覚で、起こったことを冷静に振り返ることができるのである。
 
さて、昨日のけんかのその後について。
当初は妻が謝ってくるまでは絶対に自分から話しかけないと固く誓っていたのだが、ブログを書くことで気持ちが落ち着き、なぜ自分が不快に思ったのか、そして妻に対してどうしてほしいのか、話をすることにした。
結果、1時間くらい話をしたのだが、感情にまかせるのではなく、冷静に私の伝えたかったことを話せたのはよかっと思う。
ブログも書かずに、そのまま不貞寝をしてたら、おそらく翌日夜の現時点でも口をきいていなかったであろう。
 
今回、意識したわけではなかったが、書くことによって自分を相対化する、ということを実感することができた。
普段、あまりキレることもないし、キレることはいいことだとは思わないが、期せずしてそういう状況になったときの対応方法が発見できたのは、今回のけんかの副産物だったかもしれない。
 
ということで、定期的に日記に自分の感情を吐き出すということをやっていこう、と思ったという話でした。