未来から見た自分の視点で、今の娘と接する

最近、5歳の上の娘のわがままぶりが目に余る。
あれ買って、これ買ってとわがまま放題だし、基本言うことは聞かない。
ちょっとしたことで拗ねるし、すぐに大きな声を出して反抗したりする。
弟が産まれて、少しはお姉ちゃんらしくなるかと思ったが、今のところその気配はない。
5歳ってこんなものなのかもしれないが、思春期のころにはどうなるのか、正直今から反抗期が心配である。
 
今の娘がこんな感じなので、最近は娘が生まれたころから2~3歳ころの写真を見て、癒やされている。
このころはかわいかったなあ、と。
実際、写真に写っている娘はかわいく、生意気も言わない。
この写真もかわいい、こっちの写真もかわいい、と半ば興奮気味に写真を見るのが日課になってきている。
できれば、あのころの娘に会いたいなと思っている自分がいる。
 
しかし、写真を見ながらふと思った。
5年後は、おそらくそのときから見て5年前にあたる今の写真を見て、同じようにあのころはかわいかった、と言っているのだろうと。
10歳の娘はもっと生意気になって、そろそろ私の相手をしてくれなくなっている時期かもしれない。
そんな5年後の私は、5年前に戻って5歳ころの娘に会いたいと思うのだろう。
 
よくよく思い出せば、2歳や3歳のころも娘も、今ほど生意気ではなかったけれど、なかなか言うことを聞かなかった。
もっと前に遡れば、夜泣きはひどかったし、コントロール不能で、毎日大変だった。
それでも、今はあのころの娘に会いたいなと思うのである。
 
今でも、毎日のルーティンはたしかにめんどくさい。毎日、風呂入れたり、早く食べろと言ったり、寝かしつけたり、歯を磨いたり、着替えさせたりなどなど。
でも、それは一瞬のことで、それがなくなったあとは、振り返ってあのころはかわいかったなあ、となるのだと思う。
だとすれば、逆に5年後とか10年後とかの、もっと生意気で、そして相手もしてくれない娘のことを想像して、そこからタイムマシーンに乗って戻ってきた父親として、今の娘に接することができれば、もっと子育てを楽しめるのではないだろうか。
 
きっと、5年後や10年後の私は、今の私をうらやましく思うはずである。
そして、そんな未来の自分からすれば、今の毎日のルーティンは変わってでもやりたいと思うに違いない。
 
ということで、今の娘を、今の育児を、もっと楽しもうと思った、という話でした。