朝の自分はまだ信用できるが、夜の自分を信用できない

昨年、いくつか目標を立ててみたのだが、その中で未達だったのが、読書だった。
この年末年始に関しても、いくつかこれはやろうと思ったのだが、できなかったのが、これまた読書だった。
 
私は読書自体は大好きで、前職時代や大学院に通っていたときは、かなりの数の本を読んできた。
当時はオーディオブックもなかった(知らなかった)ので、読む本だけだったが、それでも年に100冊は読んでいた。
前職のときは、苦痛な通勤時間を紛らわせるために読んでいたので、毎日の通勤の往復時間を読書の時間にできていたし、大学院のときは、課題で出た本はもちろんのこと、比較的自由な時間が多かったこともあって、多くの本を読んでいた。
 
その後、地元に戻ってからは、通勤が車になったため、通勤時間を読書に充てることはできなくなったが、それでも本を読む時間はどうにか確保してきた。
しかし、結婚して子どもができてからは、なかなか本を読むための時間をつくるのが難しくなってきていた。
 
実際、読んだ本の数は年々減少傾向にある。
とくにこの2年は、オーディオブックによる「聞く」読書はできているが、「読む」読書が減ってきている。
 
本を「読む」ことは、自分や、会社と向き合うための大切な時間であると思っているのだが、その時間が減ってきているのは問題であると最近とくに思う。
なので、今回はどうすれば読書の時間が確保できるか考えてみたい。
 
解決策を考える前に、まず読書の時間を取れていない原因は何なのか。
考えてみた結果、それは夜に本を読もうとしていることにあるのではないか、ということに至った。
とくに最近、私はこのブログや日記など、「書く」ことに注力しており、休日はブログを書くことに時間を使っている。
また、朝はランニングやウォーキングに時間を使っているので、本を読む時間となると夜くらいしか残っていないのである。
 
しかしである。夜に本を読もうと思ってもなかなか実行できないのである。
なぜ夜はやろうと思ったことができないのか。その理由は大きく2つあると思う。
 
1つは、いわば当たり前のことだが、夜は疲れているから。何かするエネルギーが残っていないのである。
20代、30代のころは、夜になってからが自分の時間ということで、そこからフルスロットルで仕事をするという時代もあったが、それも今は昔。
若いときは、いくら議論しても疲れることはなかったが、最近は頭を使う会議を午前中にやると、午後は使い物にならない自分を実感する。
このようなエネルギーが残っていない状態で、読書のような能動的な行為を行うのは難しいのである。
結果、夜はエネルギー消費の少ない、受動的に消費できる、YouTubeTVerなどの見逃し配信サービスを選んでしまいがちになっている。
動画であれば、あまり頭を使う必要がなく、ぼーっとしてても内容は一応入ってくるので、どうしてもそっちに流れてしまうのである。
また、TVerのような動画配信サービスでは、見ることができる期限が定められているので、そっちを優先してみてしまうということも起こりがちである。
 
もう1つは、子どもを寝かしつける必要があるから。
上の娘(5歳)を寝かしつけようと思うと、いっしょに布団に入って、そこで絵本を読んだり話をしたりするのだが、いったん横になると、睡魔がおそってきて、そこから起きて本を読むことが億劫になってしまう。
また、下の息子(4ヶ月)を寝かしつけようとするとき、寝かしつけながら本を読もうとしても集中できないので、ながら視聴ができるYouTubeなどの動画をついつい見てしまう。
そして、いったん動画に頭が慣れると、読書にシフトするのが難しい。結局本は読めないとなる。
 
夜にやろうと思ってできないのは読書だけではない。
靴磨きなども週末の夜にやろうと思うのだが、いざ夜になるとめんどくさくなり、ついつい翌週以降に持ち越してしまうのである。
 
こんな感じで、夜にあれをやろうこれをやろうと思うのだが、総じてできないことが多い。
それに対して、朝は、ランニング含め、やろうと思ったことが比較的に容易にできている。
朝の自分は比較的信用できるのだが、夜の自分は信用してはいけない、と思う今日このごろである。
 
と、ざっくり原因がわかったのだが、それだけでは問題は解決しない。
どうにかして読書の時間を確保しないといけないのである。
 
そこで考えた解決策は2つ。
 
1つは夜をあきらめる。夜の自分は信用できないので、それ以外の時間で読書の時間を確保するのである。
思いつくのは、すきま時間の活用で、仕事のはじまりの15分くらい時間をとるとか、昼休みの後半の時間で時間で本を読むとかである。
本を読むときは、できればある程度の時間をとって読みたいと思うのだが、そうも言っていられない。
 
もう1つは、それでも夜に本を読むために、1週間くらい無理矢理でも継続して読書をしてみる。「努力の集中化」を適用してみるのである。
上述のとおり、寝かしつけるときは動画を見てしまったり、そのまま寝てしまいがちであるが、1週間程度であれば意思の力でどうにか読書に時間を使えそうである。
1週間やってみて継続できそうであればそのまま習慣化すればいいし、継続するのが億劫であれば、たまに読書ウィークをつくって、その1週間だけ夜に本を読むということをやってみてもいいかもしれない。
 
この2つの方法、せっかくなので、どちらも試してみようと思う。
 
ということで、気力体力で乗り切れる年齢ではなくなってきたということ痛感している今日このごろ、という話でした。