最初は苦痛で仕方なかったのだが、人間慣れるもので、次第にこの通勤時間をどう活用するか考えるようになり、本を読むことが苦痛な時間をやり過ごすのにいいのではと思いつき、そこから読書習慣が身についた。
簡単な本であれば、1日に1冊読めるくらいになり、買う本も増えていった。
休みの日は丸善に行って、2時間くらいぶらぶらして、紙袋につまった本を持って帰ることに、なんとも言えない多幸感につつまれていたことを思い出す。
また、平日はけっこう遅くまで仕事をしていたのだけど、たまに20時くらいに上がることができるときに、丸善に寄って帰るのを楽しみにしていた。
そんなこんなで、東京時代は丸善をよく通っていたわけだが、地元に戻ってからは当然行けなくなる。
それでも、出張のときは、丸善が東京駅の近くにあるということもあり、できるだけ時間を見つけて行くようにしている。
両方で、合計1時間半くらい。久しぶりの丸善を楽しんだ。
やはり丸善ではテンションが上がり、一方でまだ読んでなく本がこんなにある、と焦るような感覚を得ることができ、非常に有用な時間となった。
たまに紙の本を買うときも、運ばなくていいし、購買履歴が一覧できるので、やはりAmazonで買うことになる。
Amazonにはない価値があると感じているからだ。
一方、本屋であれば地元にはある。最近は近くに蔦屋書店もできて、ここにはよく行っている。
でも丸善とはぜんぜん違うのである。
少し考えてみた結果、2つの理由にたどり着いた。
1つは、新刊の書籍のプレゼンテーション量が圧倒的に多いから。
もう1つは、まだ読んでいないが読みたい本がこんなにもあるというプレッシャーを与えてくれるから。
Amazonでは、さまざまな書籍がリコメンドされるし、実際そのレコメンドの中から興味をもって本を買うことは多いのだが、そのレコメンドは一定の枠を超えておらず、丸善に行くとこんな新刊が出ているのか、と驚くことがよくある。
また、表紙だけでは内容がよくわからないものも多く、ちょっと読んだら興味がわくようなものでも、Amazonではスルーしてしまうが、実店舗であればちょっと立ち読みしてみるということもできる。
そんな新しい情報に触れる場として、まだまだ実店舗には価値がある。
さらには、丸善で1時間くらいぶらぶらしていると、読みたい本や読むべき本が5~6冊はピックアップされる。多いときは10冊以上になる。
それに対して、実際には1ヶ月に10冊も読めていない、そんな自分にもっと本を読まなくてはいけないのではないか、と思い起こさせてくれるのである。
Amazonでもこういった感覚はなかなか起きにくい。実際の紙の書籍を手にとって内容を確認するのと比べると、どうしてもこの感覚は薄いのである。
では、地元の本屋はどうか。
これは圧倒的に新刊に限らず書籍の扱い量が少ない。当たり前のことだが、市場が小さいと新刊であってもいわゆる定番のものしかディスプレイされない。
それらの本はほとんどがAmazonで見かけた本ばかりで、こんなのが今出てるんだという驚きは皆無である。
地元の本屋で、読みたい本がこんなにあるのにぜんぜん読めていない、というプレッシャーを感じたことはない。
やはり丸善のような大型書店とは違うということを、改めて実感する。
以上のように、丸善の新刊書籍のプレゼンテーション価値は、依然として私にとって有用なのである。
そして、もっと本を読まなくてはならないことを思い起こさせてくれる価値は、ここにしかない。
だから、丸善に行くためだけに、定期的に東京に行ってもいいのではないか、と思っているくらいである。
書籍は、著者がまとまった時間を使って絞り出した叡智であるが、やはりその叡智が惜しげもなく陳列されている場所には定期的に行っておくべきなのである。
東京に限らず、都市部に行ったときには、こういった大型書店に行く時間を意図的に取らないといけないなと再確認した次第である。
ということで、丸善に行くためだけに東京に行けるくらい、時間とお金を余裕がほしいなと思ったという話でした。