アピールのためだけの意味のない対策

久しぶりに東京への出張に出た。
前回は東京に出たのは3月末、緊急事態宣言が出る少し前で、出張の是非も議論をしたのを覚えているが、それから早半年が経った。
その後、新型コロナウイルス感染症に対する知見もたまってきているので、都会ではどういった対策をしているのか興味深く見てみたが、東京でも対策については半年前と変わっていないし、地方とも同じなんだなと感じた。
以下にいくつの具体的に見て感じたことをまとめてみたい。
 
まずは新幹線。
たまたまかもしれないが、車内販売を2人で行っていた。
カートを押す係と会計係で分けているのかもしれないが、これはまったく意味がいない。
それどころか、人が増えているので(わずかながらではあるが)感染リスクは上がっている。
緊急事態宣言の後、野球観戦したときに、ビールの売り子が2人ペアになって売っているのを見たが、2人で役割分担すれば感染リスクが下がると思う理由がよくわからない。
対策をやっているアピールだとしてもあまりに意味がないと思う。
ただでさえ乗客が少ないので、そういったときは車内販売をやめてしまったほうが、感染対策にもなるし、固定費も下がるので、よほどいいと思うのだがどうだろうか。
 
続いて、アップルストア
訪問先の近くにあったので、空き時間に寄ってみたが、店の前で多くの店員がいて、いつもと違う雰囲気だった。
話を聞いてみると、客一組に、店員一人がついてでないと入店できないシステムにしているとのこと。
これについては、意味があるかないかについては議論の余地があるが、企業の考え方なのでその是非についてはどうこう言うつもりはない。
ただ、ちょっと穿った見方かもしれないが、ここまでやってますという企業姿勢自体をアピールのためにやっていると思ってしまった。
それに、ちょっと見てみたいと思った客は入りにくいだろうなとも思う。
もともと、購買のための店というより、ショールーム的な店だと思うので、そういった意味では目的を果たしにくくなっているのではないだろうか。
 
最後は、ホテルの温浴施設。
サウナも、ととのいイスも、ソーシャルディスタンスということで、間引いて運営していた。
具体的にはサウナ10人以上入れるところを5人まで、イスはならんで座れないように使用禁止になっていた。
これについてはわからないでもないが、基本しゃべらないと感染はないので、あまり意味がない。それであれば、会話を制限したほうが意味がある。
これはソーシャルディスタンスという言葉が独り歩きしていて、もともとは会話するときには距離を取りましょうという意味なのだが、そのあたりの意味を考えずにとりあえず距離を取ればいいとなっている。
同様のケースとしては、コンビニのレジ待ちとかで距離をとるのも意味がない。知らない客どうしで話すことはまずないから。
ただ、そういった対策をしていないと、この施設はコロナ対策をしていないというレッテルを張られてし、施設全体が休みになると困るので、致し方ない面もあるが、それでも本質的な意味は薄いな、と思ってしまった。
 
コロナ対策においては、実質的な意味がある対策と、対策をやっていますというアピールのための対策がある。
アピールのためにしかならない対策については、している人たちも意味がないけどやらないと批判が出るのでやっているのか、それとも意味があると信じてやっているのか、気になるところである。
もし後者のほうがほとんどだとすると、これからも改善されることなく、必要以上のコストがかかり、それも社会で負担しないといけないのかと思うと、ちょっとガックリした次第である。
 
ということで、都会のほうがまわりの目が多いので、田舎以上に過剰対策が多いかもしれないな、と思った話でした。