「時間の希少性」に気づくことが、大人になるということかもしれない

ここ1年くらいだろうか、土日のどちらかの午前中は家の近くにできたスタバで1人の時間を取るようにしている。
このブログを書いたり、1週間の振り返りや次の1週間の準備をしたり、会社や自分の今後について考えたり、と。
下の記事でも書いたが、午前中は頭が冴える貴重な時間帯なので、平日・休日関わらず、有効に使いたいと思うようになったからだ。

chikaran.hatenablog.com

ただ、そんなことを考えるようになったのも最近で、30代のころまでは考えもしなかった。

それまでは、自分の時間というのは、ややもすると無限にあるのではないかと錯覚していて、大事に使っていなかったと思う。
学生のころはそれこそ遅くまで飲んで、次の日は二日酔いで1日つぶしてしまうことなんて日常茶飯事。
社会人になってからも、ちょっと仕事が遅れても、土日でリカバーすればいいやと、メリハリのない時間の使い方をしていた。
30前後で大学院に行ったときは、さすがにこの2年間は大事に過ごそうと心がけたが、今思えばまだまだ無駄な時間が多かった。
その後、地元に戻ってからも、飲んで遅くなることも多く、もっと違うことに時間を使っていれば、と思うことが少なくない。
今は自分の時間があまりないので、スポーツジムに行くもに時間をやりくりしないといけないのだが、このころはちょっとめんどくさいとサボっていた。
ほんとにもったいないと思う。
 
時間が大事だと思うようなったきっかけは、やはり結婚して子どもができたことが大きい。
事前に想像していた以上に、妻の育児に対する負担は大きかったみたいで、私への当たりも強かったので、これはまずいと娘と二人で出かけるようにした。
すると、自分の時間は必然となくなる。そうなって、はじめてどうすれば時間を有効に使えるのか考え始めたというわけである。
娘と二人で出かけて、自分にとっても有効と思える時間の使い方には、どういったものがあるのか。
ドライブをしながらAukiobookで耳学習をして読書の時間が取れないのを補うのもそうだし、自分のリフレッシュも兼ねて娘と温泉に出かけるのもそう。
最近はじめたキャンプも同じ発想である。
また、妻とも相談して、冒頭書いたように、休日のうちの半日は1人で仕事や振り返りの時間をつくっている。ここでは、この時間でしかできないことを集中してやることができている。このブログを更新するなど、アウトプットにも時間を使うようにしている。
 
そんなこんなで、時間を捻出しながらいろいろと考えていると、ふと思った。
「時間の希少性に気づくことが、大人になるということかもしれない」と。
私は30代後半での結婚と育児だったので、このことに気づくのが遅かったのである。
 
私の場合は結婚や子育てのタイミングだったが、他のことでもこのことに気づくことはできる。
震災などで命の儚さを身近で感じた人は、時間の有限性に気づかされ、自分の使命とは何かを考えるようになった、という話はよく聞く。
楽天三木谷社長が神戸の震災を機に起業したというのは有名な話である。
 
私は、幸か不幸か、これまでそのような経験をする機会がなかったので、気づくのが遅くなったのだが、それでもこのタイミングで気づくことができてよかった。
時間の希少性に気づくことで、長期的な視点では自分の限られた時間をどこに使うべきかを考えるようになり、短期的な視点では制約の中でどうすれば時間を有効に使えるかを考えるようになったからだ。
この時代、40という歳はまだまだ折り返し地点だし、もっと思考や行動の密度を上げることで、成し遂げることができることは変わってくるはずである。
 
ということで、制約があるのは悪いことではないという話でした。