書きたいことがないときは、書かなくていいのか

このブログにも書いたが、今年前半戦の個人目標の振り返りをして、後半戦の目標の再設定をした。
その中で、このブログの更新回数の目標を、後半だけで60回(月あたり10回)とした。
しかしながら、今月はもう3分の2が過ぎたとしているのに、まだ3回した更新できていない。
書かなければという思いはあるのだが、いろいろと忙しくなかなか進んでいない。
 
一方で、最近は書きたい欲求が出てきている。
以前はブログを開設するもなかなか筆が進まず、正直更新がめんどくさかったのだが、最近は書くこと自体は億劫でなくなってきている。
ただ、書き出すといろいろとアイデアというかネタが出てきて、書きたいことが続いてくるのだが、いったん休むとこのサイクルが途切れてしまう。
以前は、このアイデアのサイクルが途切れると、書きたい欲求も薄れてしまっていたのだが、今は書きたいアイデアがなくても、何か書きたいと思うようになってきているのである。
目標設定したから書かなければ、という気持ちではなく、何か書きたいというちょっとムズムズした気持ちが出てきているのである。
「努力の娯楽化」に少し近づいてきている実感がある。
 
しかし、である。書きたいのだけど、書きたいことがないときどうしたらいいのだろうか?最近、何かとバタバタしていて、ゆっくり考える時間が取れなかったからか、書きたいことがとくに思い浮かばない。
こういうときは、何でもいいから、今日あったことでも書いてみればいいのだろうか?
 
そんなことを思っていたとき、以前読んだ「読みたいことを、書けばいい。」を思い出した。
読みたいことを、書けばいい。

読みたいことを、書けばいい。

 

 

この本の一節に、
書いた文章を読んで喜ぶのは、まず自分自身であるというのがこの本の主旨だ。
とあった。
 
ここを読み返して、改めて自分が面白いとは思わないことを書いてはダメだと思った。
「読みたいことを、書けばいい。」は「書きたいことを、書けばいい。」とは違うのである。
自分が読みたいと思うことを書かなければならないのである。
 
このあとに、次の一節が続く。
満足かどうか、楽しいかどうかは自分が決めればいい。しかし、評価は他人が決める。他人がどう思うかは、あなたに決められることではない。
 
仕事と同じで、書いた文章を評価するのはあくまでも他人である。
ただ、自分ですら評価できないものは書いてはいけない。そう思い直した。
 
自分が読みたくて、自分が評価できると思うものを書いていく、そしてそれが楽しければいいではないか。
そういうスタンスで書くということが続けられればいいなと思った次第である。
 
ということで、結論としては、書きたいことがないときは書かなくていい。
そんなことを確認したという話でした。