親が叱るのは、子どものしつけのためではなく、自分の機嫌が悪いからである

今年の1月に妻が妊娠して2人目の子どもができたということがわかり、それから娘(4歳)との時間がこれまで以上に増えた。
妻はつわりがひどく、妊娠初期には入院していた時期もあったため、朝晩のごはんに、幼稚園や実家への送り迎えと、昼以外の時間は娘と1対1でコミュニケーションする時間が多かった。
 
この時期の子どもはどこもそうなのかもしれないが、まあ言うことを聞かない。
そのことはわかっていたのだが、1対1でコミュニケーションを取る時間が増えると、そのことに向き合う時間が否が応でも増えてくる。
とくにごはんをおとなしく食べない。途中で飽きるのか、私が食べさせないと最後まで食べないのである。
これが夜のときはまだいいが、朝の忙しく急いでいるときには、当然イライラしてくる。早くしてくれということで、途中までは言い含めるように話していた私も、ついには堪忍袋の緒が切れて、怒鳴りだすことになる。
あとになって、ちょっと後悔するのだけれども、その場面になるとどうしても感情を抑えきれなくなるのである。
 
とくにここ最近は、コロナの影響なのか、会社の業績の影響なのか、外に飲みに出る機会が少ないからか、自分でも少し情緒が不安定だなと感じることが多い。
ごはんを食べさせていると、毎回のように叱っている自分がいる。
 
と、そんな日々が続いているある日、このことに気がついた。
親が叱るのは、子どものしつけのためではなく、自分の機嫌が悪いからである、と。
 
もちろん子どものしつけをしたいという気持ちはある。
ただ、本当にしつけをしたいのであれば、時間のあるときにしっかりと何度も話をすればいいのである。
朝の時間がないときはともかく、夜は時間はあるので、ここでしつけをすればいいのである。
しかし、夜は疲れていることもあり、ちょっとしたしつけを後回しにしてしまうのである。
そして、これがつけとなって、時間がないときに私の機嫌が悪くなり、どうにもこうにもならず、怒鳴ってしまうという行為に出てしまうのである。
だから、しつけをするために叱っているというのは嘘で、自分の機嫌が悪いから叱っているだけなのである。
 
これは、アドラーの言うところの目的論の話そのものである。
子どもの態度が悪いから叱るという因果論の要素よりも、自分の機嫌が悪く叱りたいから叱るという目的論のほうが強いように自分でも感じる。
 
こうやって冷静に振り返ってみて、これはよくないと思うのだが、改善するにはどうすればいいか。そのために、以下の2つのことを意識してみたい。
 
まずは、自分が娘を叱るのは、自分が怒鳴りたいからやっているんだという目的論を自覚すること。
極力、その機嫌が悪い自分を客観視して、自分のスイッチが入ってしまうタイミングなどを自覚することからはじめてみたいと思う。
そこを意識できれば、自ずと自分の感情のコントロールもしやすくなるだろう。
 
もう1つは、時間があって余裕のあるときのしつけを大事にするということ。
しつけはしつけでしなくてはならない。が、いつもやるべしと意気込んでも続かないので、時間がないときは半ばあきらめて、時間があるときに集中したいと思う。
時間があるのは必然的に夜と土日になるが、夜は疲れていて、気力も少ないので、まずは土日から時間と意識を集中させてみたい。
 
以上の2つを意識して、娘と向き合う時間をつくっていきたい。
 
ということで、ちょっと前にも同じようなこと書いたけど、なかなか実践できておらず子育ては難しいなと、再確認したという話でした。