メタゲームを戦う

Voicyの「サウザーラジオ」を聞いていると、「メタゲーム」というワードがよく出てくる。
メタとは高次とか1つ上のレイヤーという意味で用いられる。メタゲームとは今の自分が戦っているゲームよりもより高い次元でのゲームのことで、このラジオでは、資本主義社会においては勤め人(いわゆるサラリーマン)としてどう仕事をしてどう出世するかを考えるよりも、自分の商品をもち世の中で役に立つことができれば、お金においても時間においても桁違いに自由になれる、と説いている。
先日出張の際、電気カミソリを出張先のホテルに忘れて、仕方なく家にあるT字の5枚刃のカミソリを使ってヒゲを剃った。無理やりメタ視点を当てはめてみると、電気カミソリを使うか5枚刃を使うかを選択するのではなく、脱毛をして毎朝ヒゲを剃るという行為をなくしてしまえばいいということになる。
 
なんてどうでもいい例を思い浮かびながら、ジェルで塗ってヒゲを剃っていたわけだが、要するにメタゲームを戦うとは今のレイヤーのゲームでは戦わないということと同義である、ということに気づいた。
そう考えると、これって会社の事業にも言えることだな、とさらなる気づきに発展したのでまとめておきたい。
 
うちの会社のある商品群は汎用品で、そのため他社との価格競争も激しく、正直なところ儲からない。さらには価格の変動も大きく、在庫リスクも大きい。ではやめてしまえばいいとなるのだが、そこには一定の固定費がかかっているのでやめられない。ということで、(やめるかどうかなんてことはいっさい考えず)日夜この商品を売るために、いつどれだけ仕入れて、どこに売るかを考え動き回っているのである。
 
でも冷静に考えれば、この商品を売って得られる粗利分の固定費を下げることができるのであれば、やめることができる。
もちろん固定費は人件費や減価償却費が大半を占めるので、ここを下げるのは簡単ではない。ただ、ここで言いたいのは、できるかどうかは別として、そういったやめるという視点ももって考えておかないと、いつまで経っても消耗戦を強いられることになるということだ。
今のゲームを戦うだけではなく、メタな視点をもって常に「これってやる意味あるの?」と問い続け、続けるのかやめるのかを検討するということも、同時にやり続けなければならないのである。
 
ということで、昨日までは今ある商品をどう売ろうということばかり考えてきたが、明日からは、ちょっと立ち止まって、今のゲームを戦い続けるのかどうかを考えてみたいと思った話でした。