「させていただきます」症候群

こういうツイートがTwitterの私のタイムラインに流れてきた。

 

なんでもかんでも「させていただきます」や「させていただきました」を使うことを、私は(心のなかで)「させていただきます」症候群と呼んでいる。

 
一例を挙げると、地域団体の会議や催し物の挨拶とかで、「感じさせていただきました」「思わせていただきました」なんて表現をする人がけっこういた。
そもそも「させていただきます」という表現は、「相手に許可を得て、こちら側が恩恵を受ける」ときに使う謙譲の用法だが、使っている人はおそらく(意識はしていないだろうが)丁寧語の用法と認識して使っているのだろう。私は、感じたり思ったりするのに、誰の許可を得たんだろうと思ってしまう。
 
他にも、とある会議で、議長が議案を閉じる際に「これでこの議案を閉じさささせていただきます」と言っていたことがあった。これはおそらく「閉じさせていただきます」をさらに丁寧に言おうとしたのだと思われるが、敬語の使い方がわからないのであれば「これでこの議案を閉じます」と言えばいいのに、思ったものだ。
 
とまあ、人の振り見て我が振り直せ、ということにすればいいのだけど、ここではなぜ「させていただきます」症候群に陥ってしまうのか、ちょっと考えてみたい。
その理由は大きく3つあると考える。
 
1つめは、もともとの意味を考えずに見様見真似でやってしまうから。
上記のとおり、「させていただきます」は謙譲表現なのだが、そういったもとの意味を考えずに、というかもとの意味を調べる必要性も感じずに、他の人(とくに挨拶をするような偉い人)が使っていたのだから問題ないだろうと、使ってしまう。するとまた次に聞いた人も問題ないと思い、使ってしまう。ということで、とくに小さいコミュニティにおいては正しい用法になってしまうのである。
うちの会社でも、「〇〇部長様」や「各位殿」といった表現がメールなどで多用されていた(部長や各位は敬称なので、それに様や殿を重ねるは二重敬語となり誤用)。おそらくメールが使われ始めたころに、誰かがこういう表現をしたためにそれを真似たのだと思われる(これに関しては取引先の大企業でもけっこう多い)。
 
2つめは、やらないよりかは過剰にやっておいたほうが安心をいう心理が働くから。
「思いました」と言い切るとちょっと上からと思われてしまうかもしれないと思って、「思わせていただきました」となってしまうというはあると思う。
上に挙げた「○○部長様」も、「○○部長」とやって嫌な思いをされるくらいなら過剰にやっておいたほうが安心だと思ってしまうのであろう。
とくにこのご時世、少しでもリスク要因があればそれを潰しておきたいと思い、安全な方へ安全な方へという心理が働いてしまうのはよくわかる。
 
最後3つめは、違和感を覚えてもきちんと調べないから。
例えば「思わせていただきました」という表現を聞いて、違和感をもつ人は、10人いたら半分の5人くらいだろうか?(もっと少ないか?)
その5人のうち、明確に誤用だな気づく人はおそらく1人くらい。残りの4人はもやもやしたままなのだが、その4人のうち、これは正しい用法なのかと調べるのは1人いれば良いほうだろう。
ということは、10人いたら8人はこんなもんだろうと流してしまう。そのうち、見様見真似で誰かが同じ表現を使えば、違和感をもっていた人を含めてこれでいいのだろうと思ってしまい、その表現が定着していってしまうという流れである。
 
 
言葉や表現というものは生き物で、徐々に変化をしていくものだから、とやかく言うべきでないという論調もあるが、それでもやはりもとの意味を認識をしておくということは、(とくに人前で話すことが多い人には)大事なことだと私は思う。
これは、ことさらキレイな日本語を使いましょうと言いたいのではなく、もとの意味を理解しておくことがリスクを低減することになると思うからである。
「させていただきます」症候群に陥る理由の2つめに、リスク回避の心理が働くからと書いたが、逆に誤用表現を使うことで、それを知っている人から無知であると思われる危険性があるのである。
また、誤用だと知っていれば、相手に合わせて(ワザと)誤用表現を使うということもできる。よって、全方位にリスク回避ができるのである。
 
ということで、何か違和感を覚えたら調べる、というクセをつけておきたいという話でした。