DifferentとBetter

昨年末か今年のはじめくらいから聞き始め、完全に習慣化しているインターネットラジオのVoicy。その中でもトップを走り続ける「サウザーラジオ」。
このチャンネルでは、「資本論」と「金持ち父さん貧乏父さん」の2冊を下敷きにして、勤め人(要はサラリーマン)のもっている商品は「労働力」だけで、これを切り売りしているうちは自由になれず、そこから脱する(時間やお金から自由になる)ためには「(他とは違う)商品が必要である」と説いている。

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 そのサウザーラジオの第62回で、「学歴は必要か否か」という話題から転じて「学歴エリートは他の人と違うことをするのが苦手」という話が出てきた。

voicy.jp

 
「皆が同じ方向に走ってるのに、自分も集団に加わって、頑張って、集団の中で抜きん出るみたいなものが、学歴エリートの世界観だと思うんです。」
 
という話なのだが、これを聞いて楠木建先生の著書「ストーリーとしての競争戦略」に出てくる「「違い」には「違い」がある」という話を思い出した。
ここで言う、「違い」の違いとは「程度の差の違い」と「種類の差の違い」のことである。
前者は身長、体重、テストの点など尺度なりものさしがあるタイプの違いで、後者は性別、職業、趣味などものさしがないタイプの違い。
同書では、BetterとDifferentとも表現していて、戦略とはDifferentの思考であると喝破している。
 
さて、学歴エリートの話に戻るが、サウザー氏も指摘しているとおり、「皆が同じ方向に走ってるのに、自分も集団に加わって、頑張って、集団の中で抜きん出る」のが学歴エリートの世界観で、これはまさに「程度の差の違い」を争っているBetterの価値観である。テストでより良い点数を取る、より偏差値の高い学校に行く、より人気のある企業に入る、まさにBetter価値観。
そんなBetterの価値観に染まっている人たちは、Differentを求められてもなかなかそちらに舵を切れないというのは、至極当然のことであろう。だって、学校教育がまさにこの価値観で構成されているのだから。
ちなみに、親(とくに母親)が自分の子どもに対して他の子と違っていてほしい(個性をもってほしい)と言う場合のほとんどは、DifferentではなくBetterであってもほしいという意味である。
 
ということで、サウザー氏がいくら「商品をつくって、勤め人を卒業しよう!」と言っても、また政府がいくら副業を解禁しようとしても、優秀な人ほど上記のジレンマに陥るので、なかなかこういった方法で成功するのはむずかしいんだろうな、と思ったという話でした。
 
(一方で、こういった生き方、方法論があるということを知らなかっただけで、やればできるという人もある一定数いると思うので、そういった人たちの目を見開かせるという意味で、このサウザーラジオの意義は大きいとも思う。)