お金と時間の価値を考える

先日、うちの会社の社員から、その社員が活動している劇団のチケットを購入してくれないかと頼まれた。もらったパンフレットを見ると、地元のテレビ局も協賛していることから、けっこうしっかりとした舞台のようだ。
そういうことであれば、と快諾して数枚購入したのだが、ここでハタと思った。
この社員はチケットを販売することで、活動費となる資金を集めたいのか、それとも見に来てくれる人を集めたいのか。どっちなんだろうかと。
おそらく両方なんだろうけど、もし両方であるならば、もっといい方法があるのではないかと思った。
 
このチケットを買ったときの、私が思ったことを正直に告白すると、「チケットを買うのはいいけど、実際に時間を使って観に行くのはめんどうくさいな」である。
また、「チケットももっと買ってもいいのだけど、結局誰も観に行かないのであれば、それはそれでもったいないな」とも。
要するに、お金を出すのはいいけど、時間を提供するのは避けたいということである。
 
一方で、お金を出してまで観に行きたいとは思わないけれど、タダでチケットが手に入るのであれば観に行ってもいいかも、と思っている人もいるであろう。
さっきの私のケースとは逆で、お金は出したくないけど、時間を提供するのはOKというパターン。
 
そうであるならば、私のような立場の人にお金を出してもらって、その分のチケットを逆に時間を提供してくれる人に渡す。
お金は出してもいいけど時間を使ってまで観に行こうとは思わない人と、お金は出したくないけどタダなら観に行ってもいいかなと思っている人をマッチングすることで、集金と動員という問題をどちらも解決できるというわけである。
 
一般的に年齢を重ねるほど、時間の価値が上がっていき、お金の価値は下がっていく。
そう考えると、年配者や役職者からはお金をもらい、若者からは時間をもらうという戦略はいろいろと応用が利くのではないかと思った、という話でした。