具体と抽象

 

具体と抽象 ―世界が変わって見える知性のしくみ

具体と抽象 ―世界が変わって見える知性のしくみ

 
最近とみに思うのが、多くの人にとって「抽象と具体の往復運動」が苦手ということ。
地元に戻ってきて、会社や地域団体で会話する中で、この抽象と具体の行き来に関することで、コミュニケーションのギャップを感じることが多くある。
私自身、大学、大企業、大学院と過ごす中で、(みんなどこまで意識しているか別にして)抽象と具体の概念を比較的もっている人と多く接してきたのだな、と感じている。
 
抽象と具体の往復運動をするというと、具体→抽象の方向と、抽象→具体の方向の2方向がある。
そのうち、具体→抽象の方向の頭の使い方は難しい、というのはよくわかる。枝葉を切り落とし本質を掴み取るのは訓練が必要だと感じる。
だが、抽象→具体の方向の思考については、誰でもある程度できるものだと思いこんでいた。抽象的な概念だけでなく具体例まで挙げて説明すれば、おおよそ理解してもらって動けるものと思っていたが、これが難しいという人が多い。よっぽど具体レベルを挙げてイメージさせてあげないとなかなか理解してもらえない(というか、何をやればいいか指示してほしい人が多い)。
 
本書にもあるように、「抽象の世界というのは具体の世界と違って、見えている人にしか見えません。」なのだろう。
 
苦手なままではこちらが困るので、まわりの人たちに「抽象と具体の往復運動」ができるようになってもらわないといけないのだが、まずは私自身が抽象化した概念を自分が納得したかたちでまとめて、具体的なイメージも加えて説明できるようにすることが大事だろうと思い至るようになった。
私自身、抽象化すること自体が好きなのだが、自分がわかった時点で満足するきらいがあり、それを人に伝えることがレベルまでブラッシュアップすることを怠ってきたと反省している。
自分が理解したものを、みんなも理解してくれと思っていたのだ。
だけど、「抽象の世界というのは具体の世界と違って、見えている人にしか見えません。」ということをしっかり理解して、みんなが理解できるまでさらに考えることが大事なのだとわかった。
 
その上で、「抽象と具体の往復運動」を意識して鍛えていくこともあわせてしていかなければならないが、これをみんなに求めると失敗するような気がしている。
みんなができるようにするというよりも、こういった考え方ができる人を見出すことと、その人たちが意識して「抽象と具体の往復運動」できるようにすることを優先したほうがいいように思う。