幸福度は「伸び率」で決まるけど、絶対的な視点を持てば意図的に幸福を感じることもできる

西野亮廣著「革命のファンファーレ」を読み返していたら、
『幸福度を決めるのはクオリティーではなく、昨日からの「伸び率」だ。』
という記述があった。
 
『失業率、幼児死亡率、衣食住の質、医療費……あらゆる項目で世界トップクラスの、こんなに豊かな日本の幸福度が低い理由は「伸び率」の低さに他ならない』
これは前回の記事で書いた絶対と相対の比較の例の1つだなあと思った。
人の幸福度は絶対的なものでなく、昨日の自分やまわりと比較などの相対的なものであるということであろう。
だからこそ、その相対的な伸び率をデザインをしてあげると、満足度や幸福度を高めることができるというのが記述の趣旨であった。
その例として、ディズニーランドの入場ゲートが狭い理由を挙げており、その渋滞のストレスと解放されたときの喜びの差で感動をつくっていると分析している。
 
一方で、この記述を読んで、私は幸福度を絶対的な視点で見るように心がけていたことに気づいた。
今このときの不快感や絶望感があったとしても、地理的にスパンを拡げてみたり、時間的に長く捉えてみると、今の自分の絶対的な幸福度は高いと感じることができる。
そうやって(無意識のうちに)心を落ち着かせようとしていたのであろう。
(まあ、これも世界の人々や昔の人との比較をしているので、絶対的なものではなく相対的なものであるとも言えなくはないが)
 
で、何が言いたいかというと、そのときどきで、絶対的な視点と相対的な視点を意識して選択できると、ちょっとだけ幸せな毎日を送れるのではないかということである。
小さな娘が昨日できなかったことを今日できるようになったら、それがささいなことであっても、その変化の具合を素直に喜べはいいし、その小さな娘がわがまま言ったり、そのせいで妻が機嫌が悪くなって、こっちもイライラするときは、ちょっと視点を引いて自分を見てみれば、そんな状況ですら幸福であると感じることができる、といった具合に。