なぜ日本人は「選択」が苦手なのか?

前回の記事で、百貨店を例に「選択」と「提案」の対比について書いた。
ここで基本的に日本人は「選択」が苦手という記事があったと紹介した。

chikaran.hatenablog.com

 

そこで今回はなぜ日本人は「選択」が苦手なのかについて考えてみたい。

 
結論からいうと、教育が大いに影響していると思う。
外国の教育について経験も見識もないので、日本の教育の経験者という点からしか言及できないが、日本の教育は徹頭徹尾「正解」を求める教育であると感じている。
先生が唯一の「正解」をもっていて、それを当てるのが授業でありテストなのである。
正解は唯一であり、正解が存在しないと困るし、また2つあってもしっくりこない。
余談だが、小学校2年のときのテストで、四角い正方形が書かれておりこれは何でしょう?という問題があって、私は「正方形(長方形)」と書いたら、×をもらった経験がある。今でも覚えているくらい、当時から納得いかなかった(もちろん、長方形でも正解、さらには平行四辺形でも正解)。
 
さて、この「正解」主義の教育。その影響は社会人になっても色濃く残っており、会社の会議なんかでもよく見られる。
例えばこんな感じ。
 
社長「この件についてどう思う?AとBどちらがいい?」
部長「Aではこういったメリット・デメリットがあり、Bでは…」
社長「それで、AとBのどちらがいいんだ?」
部長「どちらかといえばAのほうが…」
社長「そうか?おれはBのほうがいいと思うんだけどな」
部長「そうなんですよね、Bもいい点が多くありまして…」
 
社長の意見が「正解」であり、会議の参加者はその「正解」を当てることが求められていると(無意識に)思っているのである。
上の例はわかりやすく書いたが、会議の参加者が上役の「正解」を当てようとしている場面を何度も見てきた。
 
話を戻そう。要するに、日本人のメンタリティとして「正解」を求めようという気質は強く、その原因は教育にあるという仮設である。
だから、何か自分で「選択」して、それが「正解」でなかったら損をしたと感じたり、責められたりするので、誰か(それなりの権威のある人であればなお良し)の「提案」を受けたほうがいいと思ってしまうのである。それも意識的ではなく、無意識のうちに(これが教育のすごいところであり、こわいところでもある)。