台風が秋を連れてきた

先日、日本列島を襲った台風14号
かなりの勢力を保ったままの日本列島縦断であったが、鉄道の計画運休や店舗の休業などもうまく活用したこともあってか、当初の想定よりは被害も少なく済んだ印象である。まだまだ台風シーズンは続くが、大きな被害なく終えたいところである。
 
さて、その台風14号が通過した後の気候は、一気に秋に季節が変わったように思う。台風が秋を連れてきたような様相である。
台風前までは連日熱帯夜に近い日が続いていたが、台風後は20℃台前半を通り越して、20℃を割り込む日も出てきている。
夜20℃を下回ると涼しいではなく、はっきりと寒いと感じるので、窓を開けたまま寝ないように注意しないといけない。
一方、昼はもうしばらくは夏日が続きそうな予報が出ているが、最近は夏日と言っても30℃を超えなければそれほど暑いと感じることもないので、朝晩通じて、過ごしやすい季節になってきたのではないだろうか。
 
また、今日は秋分の日で、昼と夜の時間が同じ日だが、ずいぶんは日は短くなった印象がある。
ここからは名実ともに昼が短い期間に突入して、秋が深まっていくことになる。
 
今年はこの台風後を秋だとすると、いつごろまでこれが続くのか。
このちょうどいい季節は思っている以上に短く、すぐに冬に様変わりをしてしまう。ちょうどいいと感じるのは人それぞれなのだが、だいたい11月中旬くらいまでが精一杯で、長くても2ヶ月程度と考えておいたほうがいいだろう。
 
昔、日本は四季の国ではなく、夏と冬に二季の国だという文章を見たことがあるが、春と秋はほんと短い。
短いからこそ、これから来るであろう、ちょうどいい季節を意識して楽しみたいなと思った次第である。
 
ということで、台風後一気に秋がやってきた、という話でした。

下校時の点呼に見る、学校の先生のストレス

先日、娘(小学1年生)の授業参観に行ったときのこと。
授業参観は午後からの授業で、その後は下校ということで、いっしょに帰る親はちょっと待っておく、という段取りだった。
 
授業後の帰りの会のようなものが終わったら、すぐに帰るのかなと思って待ってたら、靴を履いて外に子どもたちが並んでいた。
どうやら、普段は1年生はいっしょの方向に帰る児童が集まって、そこで点呼をとってから、途中までいっしょに帰ることになっているようであった。
そこで、点呼が終わった後に、先生に一声かけてから娘といっしょに学校を出ることになった。
 
この下校時の点呼を見て、だいぶ時代が変わったなと思った。
かれこれ40年近く前になるが、私が小学校に入学したころは、教室で挨拶をしたら、先生の管理を離れて自由に下校していたと記憶している。
学校の先生からすると、責任範囲は学校での生活だけでなく、家に無事に帰るまでに変わっているようで、1件でも事故を起こしてはいけないという感じがひしひしと伝わってきた。
時代が違うと言えばそれまでになるが、昭和後期と令和では考え方が大きく違うように感じた。
 
そう考えると、先生の精神的な疲労というかストレスは、一昔前と比べると大きくなっているのかもしれない。
良くも悪くも、子どもたちとは上下関係があり、下校すれば放っておけばよかった時代に比べ、子どもの数も少なくなり、親の目も厳しくなっている現在では、下校時の安全に限らず、1人ひとりに対する気の遣う量がかなり多くなっているように思われる。
 
ちょっと視点はことなるが、今回の授業参観でも、先生が児童に声をかけるときは、男の子に対しても「さん」づけをしていた。
どうやら、「君」と「さん」で分けることをしないようにしているようで、このあたりでもLGBTを気にしているのかわからないが、こういった細かなところでも、昔に比べると神経を使っているように感じたりもした。
 
どちらにしろ、一人ひとりの児童に対する気遣いや安全に対する配慮が、昔に比べて、多く求められるようになっており、先生から見ると精神的に苦労する時代になっているのだろうなということを感じた次第である。
中学校などでは、部活の担当を外注化するような動きもあるようだが、これは働き方改革という時間の問題だけでなく、精神的な負担を軽減するためにも必要なことだと感じた。
 
ということで、今の先生の仕事は細かなところでストレスが多くなっているのではないか、という話でした。

学校の先生になりたかった

先週、娘(小学1年生)の授業参観に行ってきた。
まだ1年生ということで、授業も収集がつかなくなるのではないかと、ちょっとだけ不安な気持ちをもちつつ参加したのだが、ベテランの先生ということもあって、秩序を保ちながら、子どもたちも自由に発言していて、良い授業だったように感じた。
 
そんな授業を見ながら、一方で自分だったらこんな感じで進行するだろうな、というアイデアもいくつか浮かんだ。
今回の授業はあさがおを育成を振り返るという内容だったのだが、私なりにここはこうやってほうがいいのではないかとか、子どもたちにどうやって考えさせたらいいかなど、考えていて楽しかった。
 
そんな感じで授業参観を見ていると、そういえば、私は子どものころ(中学生のころまで)、学校の先生になりたいと思っていたことを思い出した。
算数や数学が得意で好きだったので、数学の先生になりたいと思っていたなあと。
 
さらにそこから私はなぜ学校の先生の何に憧れていたのか考えたのだが、授業を見ながら、学校の先生の2つの能力に魅力を感じてたことに気づくことができた。
 
1つが、プレゼン力。
授業が面白くわかりやすい先生は、子どもが理解しているレベルを把握して、そこからさらなる知識を積み上げていく。そこに具体例や気を引く話を入れたりして、飽きないように子どもたちを取り込んでいく。
これはいわゆるプレゼンテーション能力と言えるかと思う。わかりやすく説明して、相手に理解をさせる。「わかる」経験をさせてあげる、そんな姿に憧れていたことに気づいた。
 
もう1つが、MC力。場を仕切る能力である。
一方的に説明するだけでは授業はつまらないし、子どもの理解も頭打ちになってしまう。いい具合に意見を出させたり、議論を誘導することも求められる。さながらMC力と言える能力が先生には求められる。
授業のうまい先生はここがうまい。子どものレベルに応じて適切な問いを出すことで、自信をつけさせ、理解を進めさせることができる。そんなことができるとかっこいいなと思っていたことを思い出した。
 
さて、私は次第に学校の先生という選択肢を自分のキャリアから外して、違う道を考えるようになっていくのだが、プレゼンとMCがしたいというところは変わっていないことに気づいた。
毎年年末に、うちの会社では来年度の計画を立てる会議が行われるのだが、その会議では私が話す内容を考えて、私が取り仕切る。これはまさに子どものころになりたかった姿だなと思った。子どものころになりかった自分に、なれていると考えることもできる。
そう考えると、この会議、準備は大変なのだが、やりたかったことができている喜びを感じて取り組まなければいけないなと思った次第である。
 
ということで、子どものころ何に憧れていたのか、要素分解することができた、という話でした。

台風雑感

史上最大級とも言われた台風14号が日本を縦断していった。
まだ現時点(20日朝)では太平洋に抜けていないので、縦断しているという表現のほうが正しいかもしれない。この時点で、気圧は985hPa、最大風速は25m/sで暴風円こそ消えたが、やはりかなりの勢力を保ったまま縦断したと言ってもいいだろう。
 
さて、今回の台風、前日18日の日曜日からかなりの風が吹いており、これはちょっと大きな影響が出そうだなと思っていた。
もしかすると停電まであり得るかもと思い、ちょっとだけ食料を買い込んで、キャンプ用のLEDランタンとモバイルバッテリーを充電して臨んだ。
 
当日19日は朝から暴風雨。ただ、風は思ったよりも強くない。なんなら前日のほうが強い風が吹いていた印象。
午前中はかなりの強い雨が続いていたが、ちょうど昼ごろうちの地域の上空を通過したあたりから、雨が止んだ。
その後、吹き返しの風が強くなると思いきや、風のほうはそれほどでもなく、雨も止んだままで、正直なところあっけなく台風は通過していった。
 
今回は史上最大級かつもろに直撃するということでかなり身構えていた。まだ一夜経ってからの被害状況がわからないのだが、(少なくとも私のまわりでは)大きな影響は出ていないと思われ、無事に終わってほっとしているところである。
 
さて。今回の台風14号で、思ったことを2点まとめておきたい。
 
1つは、台風はどこを通過するかで、影響が大きく変わるということ。
ちょうど中心部が上空を通過したあたりから、雨が止み、風も弱くなっていった。中心が通過したため、この地域にとっては比較的影響の少ない進路になったのかもしれないと感じた。また、ネットを見ていると、ちょっと離れた地域ではかなりの吹き返しがあったようで、同じ台風なのに違った印象があった。
裏を返せば、逆にちょっとずれた場所では影響が大きく被害が大きかった可能性があるということ。ネットを見る限りでは大きな被害のニュースは入っていないが、このまま大きな被害ないことを祈りたい。
 
もう1つは、閉店の措置を取る店舗が多かったこと。
今回は前日の段階で19日は休業すると発表していた店舗が多かった。スーパーや飲食店などでは大半の店が休業だったのではないだろうか。
従業員の安全や仕入れが難しいことを考えると適切な措置かと思う。JRの計画運休含めて、ようやくこういった考え方が当たり前になってきたなと感じた。
コンビニも休業の店舗が多いのかと思っていたが、こちらは私が確認した2店舗ではどちらも営業をしていた。こちらはこちらで、個人的には助かった。
 
こんな感じで、少なくとも私の地域ではそこまで大きな影響はなく、台風は通過していったものとわれる。
事後的にそれほどでもなかったということは簡単だが、今回大丈夫だったから、次も大丈夫というわけではない。台風はある程度事前に準備ができるので、都度都度対策をしていきたいと思う。
 
ということで、台風14号が通過していった、という話でした。

台風による停電リスクと供給リスク

史上最大級とも言われている、台風14号が接近している。
今回のこの台風、勢力や大きさもさることがながら、進路が九州から本州、北海道までと、まさに日本縦断といった感じで、先日の台風11号と比べても比較にならない影響が出ると思われる。
前日の日曜から風も強くなってきており、史上最大級に嘘偽りのない台風の様相を呈している。
 
さて、そんな影響力の大きな台風が接近するということで、食材を多少は備蓄しておいたほうがいいだろうと、昨日スーパーに買い出しに行ってきた。
そこでちょっと何を買っておけばいいのか考えていると、台風当日には買い出しに行けないのは当たり前として、今回の台風の場合、それ以外に2つのリスクがあることに気づいた。
 
1つは停電のリスク。
最近の台風で停電した経験はないのだが、史上最大級とも言われていることから、当然停電の可能性はあると見ておいたほうがいいだろう。
停電で一番困るのは、明かりや調理器具ではなく、冷蔵庫だと思う。
明かり関係であれば事前に懐中電灯などを準備しておけばいいし、電子レンジや電気調理器が使えないことも事前に想定しておけばそれを使わなくて済む食材を用意しておけばいいが、冷蔵庫だけは問答無用にストップしてしまうので、ここに食材をストックしておけなくなってしまう。
今回も冷凍食品を買い込んでおけばいいかと思っていたのだが、停電のリスクがあることに思い至って、買うのをやめておいた。
 
もう1つは、サプライチェーンの寸断による供給不安のリスク。
今回の台風は全国的な影響が出そうということで、数日食材に限らず物品が入ってこないリスクはあるかと思う。台風が過ぎ去ったあとも、被害の状況によっては、スーパ-やコンビニの棚からものがなくなるということまで起こるかもしれない。
万が一ではあるが、数日食料の調達ができないことも見込んでおいたほうがいいかもしれないと思った。
 
この2つのリスク、もっとも被害が大きかった場合、どのくらい影響が出るか考えてみたところ、停電のほうは1~2日もあれば復旧するものと思われるが、サプライチェーンの寸断が起これば供給が滞ることは1週間程度の影響があるかもしれないと見積もった。
 
これらを考慮した結果、まずは停電の1~2日を凌ぐために、惣菜や菓子パン、カップラーメンを数個買っておいた。水も買っておこうかと思ったが、定期的にAmazonで購入しているものがまだ残っているので、こちらは補充せず。
仮に1週間程度影響が出たとしても、そのときは停電は復旧していると思われるので、電子レンジで調理ができるごはんのパックも数個買っておいた。まあ、停電がなければ米も炊けるので問題はないだろうと思われるが。
あとは、早めに冷凍食品や要冷蔵食材を食べておくことが対策だろうか。
 
と、こんな感じで、少し具体的なイメージをもって、台風のリスクを考えてみた。見落としているリスクもありそうだが、とりあえずはこんなところだろうか。
加えて考えられることは、水の補給が寸断されるリスクもあるだろうから、風呂の栓を抜かずに水を溜めておくこともやっておきたいと思う。
そして、何より大きな被害が出ないことを願うばかりである。
 
ということで、史上最大級の台風に備えて食料補給をした、という話でした。

忘れないことと借りることができること

先日、娘(小学1年生)授業参観に行ってきたのだが、そこで教室の子どもたちを眺めていると、みんな机の上に筆箱が置かれていた。
みんな似たような箱型の大きな筆箱使っているんだなと思いながら、私の娘の机を見ると、筆箱がなく、鉛筆と消しゴムがぽつんと置かれていた。
その瞬間、しまった、と思った。前日、筆箱を別のカバンに入れて公文に行っており、それをランドセルに入れ替えるのを忘れていた。
きちんと確認しとけばよかったと思ったが、次の瞬間、まあ大きな問題ではないかと思い直した。実際、借りることもできているみたいだったし。
 
そのときふと思ったことが、学校教育では(というか日本全体かも)忘れないことが大事という価値観が重視されている、ということ。
私が子どものときを思い出しても、忘れ物はそこそこ悪いことという価値観がまん延していたような気がする。筆箱や教科書、ノートだけでなく、給食セットや上履きのようなから、名札に至るまで、何か忘れ物をすると、1日暗い気分で過ごさなければいけない感じになる。名札なんて、1日なくても何も困らないのに。
筆箱や教科書あたりも、隣の子に借りればいいし、ノートはさすがに借りることはできないだろうが、先生に何か紙をもらって、そこに書いて、帰ってからノートに貼ればいい。
給食セットや上履きがないと本人が少し不便になったりするだけで、1日我慢すればいいだけである。
 
冷静に考えれば、忘れ物をしたとして、大きな問題でないのである。
今はどうかわからないが、少なくとも私の子どものころは、先生からもまわりからも相当悪いことしたと言われたような記憶があり、かなりバツの悪い思いをしたのを覚えている。
娘からハッキリ聞いたわけではないのでよくはわからないが、おそらく今もそれほど変わっていないのではないだろうか。
 
もしそうだとしたとき、忘れ物はしないようにと指導することは大事だが、それと同時に困っているときに助けを求めて借りることの重要性も教育する必要があるのではないかと思った。
人間、誰しも完璧にできるわけではない。日ごろきっちりしている子でもミスはする。そのときに(まわりが助けてあげるということではなく)自分がまわりに助けを求められる能力も大事なのではないかと思ったわけである。
当たり前のことだが、自分が助けを求めるのであれば、まわりの人から助けを求められたらそれに応える必要もある。そうやって、いい意味での持ちつ持たれつの関係を築いておくことが大事かと思う。
 
ちなみに私はこれが苦手である。ちょっとしたことでまわりに助けを求めるということができない。まわりに助けを求められるのは、頼ってもらってうれしい気持ちになるのだが、自分からはなかなか助けを求められない。
そんなこともあって、娘には、自分がミスしないことは大事だが、ミスしたときに助けを求められる能力、まわりがミスしたときに助けてあげる気持ちのもちよう、これらを身につけておいてほしいなと思った次第である。
 
ということで、日本の教育において、忘れものに対する脅迫観念が強いのではないか、という話でした。

今と昔の学校環境の違い

先日、娘(小学1年生)の授業参観に行ってきた。
これまで、1学期も1~2回あったようだが、私が行くのははじめてで、ちょっと緊張しながら学校に向かった。
 
授業の内容は、あさがおの生育について振り返る内容で、子どもたちも発言しやすいものを選んだのだろうと感じた。
うちの娘も積極的に手を挙げていて、とりあえずは一安心だった。
 
最初は子どもたちもちょっと緊張した雰囲気だったが、徐々に慣れてきて、授業もスムーズに動きだしたところで、視点をちょっと引いて教室の環境を眺めてみたのだが、思いの外、私が子どものころと変わっていないなと感じた。
大きく変わっていたのは、エアコンと大きなモニターの2点くらいで、それ以外はあまり変わっていないように見えた。
 
エアコンについては、昭和生まれの私としては子どもは少々の暑さくらい我慢すべきと思ったりもするが、私のころと比べて平均で2℃くらい気温が上昇していて熱中症リスクが上がっていることや、先生の職場環境ということを考えれば導入は妥当かと思う。無理に我慢する時代でもないだろう。
 
モニターについては、今回の授業でも先生がもっているタブレット端末を接続して使っていたが、これも近年の技術動向を踏まえると妥当だろう。
私が子どものころはOHP(オーバーヘッドプロジェクター)が使われていたが、そんな時代でもないだろうし、いわゆる普通のプロジェクターも場所を取ってしまうので、廉価になったモニターを使うのは当然だろうなと感じた。
 
ただ、それ以外は、ほとんど変わっていないように見えた。机や椅子の形もそのままだし、まだ黒板が使われている。長い定規があって、先生がそれを使って線を引いている。
私が子どものころの教室とほとんど同じで、小学校のころが私がこの未来の様子を見たら、ちょっとガッカリするくらい変わっていなかった。
エアコンは当時からあったし、モニターもテレビが大きくだけとも言える。技術的には進歩して安くはなったのだろうが、見たこともない新しい教室とは思わなかっただろう。
 
そんな教室の環境を見て、学校という組織は保守的だから変化が少ないのだろうと思ったのだが、実は学校に限らずこの30~40年の変化がこのくらいだったということなのかもしれない、と思い直した。
戦後から昭和中期くらいまでの変化が大きかったが、それ以降の昭和後期から平成の時代は、進化というより進歩の数十年だったのだろう。
よく言えばそれくらい成熟した時代に入ってきているとも言える。そんなことを授業参観しながら感じた次第である。
 
ということで、学校の環境は想像以上に昔と変わっていない、という話でした。