値上げは許容されるのか

先日(6月上旬)、日銀の黒田総裁が「日本の家計の値上げ許容度も高まってきている」との見解を示し、物議を醸した。
この発言の何が悪いのかはよくわからないが、それはさておき、対消費者ではなく、対企業においては、値上げ許容度はかなり高まっているのを実感する。
 
私の会社は広く捉えると鉄鋼業界に属するのだが、昨年からの値上げは今年になっても継続しており、長い期間に渡って材料価格は右肩上がりの状態にある。
こういった状況が続くのは、原料や資材価格の高騰が第一の原因だが、メーカーの合併による設備の統廃合も大きく影響しており、モノが過剰に供給されないので価格が下がらないということもある。
これは鉄鋼業界に限らず、素材に関する業界全般に言えることではないだろうか。
 
そんな環境にあるので、ユーザー企業も材料がないと生産もできないことをわかっており、値上げに関してはこれまでと比べるとやむなしという雰囲気が醸成されている。
値上げは許容するから、きちんと供給してね、というのが本音のようである。
 
B2Bは概ねこういった感じで淡々と値上げが実行されているが、ではB2C消費者向けの価格は今後どう推移するか。
こちらも、間違いなく川上から値上げの波が川下に流れてきて、価格は上がる。現時点で、すでに値上げは進んでいるが、今後継続的に上がっていくだろう。
 
これまでは、各種材料が供給過剰だったので、川上企業が少々コスト増でも安く売らざるを得ない状況だったが、現在は供給が制約されているため、材料を安く供給する必要がない。
そうなると、川下の最終メーカーや小売企業は、企業努力だけではコストを吸収できず、価格に転嫁しないと生きていけないとなる。
また、他の企業も値上げするのでやりやすい。「赤信号みんなで渡ればこわくない」ではないが、横並びで値上げできるので、このタイミングで実施しない手はないのである。
逆に言えば、材料値上げを販売価格に転嫁できない企業は淘汰されるであろう。
 
材料メーカーの値上げが、一般消費者にまで届くには1年程度はかかる。
現在、発表されている各企業の値上げは、昨年の材料値上げに起因するものなので、来年の春頃にはさらなる値上げが待っている。
要するに、値上げを許容できるかどうかではなく、否応なしにやってくる、というのが正確な表現である。どのみち値上げの波はやってくるので、消費者として今のうちからどういった準備ができるのか、考えておきたいと思う今日このごろである。
 
ということで、さらなる値上げがやってくる、という話でした。

天気予報はあてにならない2

今年の目標の1つにランニング月100kmを掲げている。
とりあえず、ここまでの5ヶ月はギリギリの月もあったがどうにか達成。6月も今のところ順調に来ており、このまま行けばおそらく達成できる見込みである。
 
ただ、すでに梅雨に入っており、雨の日は走ることができない(走りたくない)ので、今日は走れるだろうかと、いつも天気予報をチェックしている。
 
そんな中、昨日のこと。
私は夕方走ることが多いので、その時間帯の天気を気にしているのだが、前日に予報を確認すると、1日中雨予報だったので、これは走れないだろうと諦めていた。
しかし、当日朝起きてから再度天気予報を確認してみると、昼には雨が上がって、それ以降は曇予報に変わっていた。
これだったら走れる!と、ランニング用のウェアをもって会社に出かけた。
 
午前中はだいぶ強い雨が降っていたのだが、昼間天気を確認してみると、朝予報で見たとおり、だいぶ小雨になっていたので、夕方には上がるだろうと信じて疑っていなかった。
しかし、夕方の時間になると、まだ小雨がぱらついている。天気予報を確認すると、曇から0.5mmの小雨予報に変わっていた。
そこで、走ろうか止めようか迷ったが、せっかくウェアも用意したし、小雨だからそんなに濡れないだろうと、走ることにした。
 
すると、走り出しこそ小雨だったが、どんどん雨足はどんどん強くなってくる。雨は弱まるどころか強くなる一方で、結局走っている間中強く降ったままであった。
当然のことながらびしょ濡れで、走れて良かったという感情もなかったわけではないが、なんでこんな雨の中走っているんだろうという感情のほうが強く、釈然としないまま走り終えた。
そして、再度天気予報を確認すると、しれっと雨予報(3mm)に変わっていた。
 
この走った時間帯の、前日からの天気予報を振り返ると、雨(前日)→曇(当日朝)→小雨(直前)→雨(直後)という変遷をたどった。
あとで振り返ると、結局1日中雨が降っていたようで、私が最初に確認した前日の予報のとおりに推移したことになる。
 
梅雨時期ということもあるので、予報が当たりにくいのはわかる。ただ、時間が迫るに連れてその精度が狂うのはどうにかしてほしい。ましてや1時間前くらいの直前の天気はどうにか当ててもらえないだろうか。
梅雨時期のランナーにとって、天気予報は大事なツールなのだが、ここまであてにならないと、雨模様の日は降るものだと思っておいたほうがいいと感じた次第である。
 
今も週間天気を見ながら、どの日に走ろうか思案しているが、あまりあてにしないよう心しておきたいと思う。
 
ということで、梅雨時期の天気予報はあてにしすぎてはいけない、という話でした。
 

新規感染者数下げ止まりの原因と今後の予想

新型コロナも収束したような平穏な日々のここ最近だが、新規感染者数を見ていると、全国的に下げ止まりの傾向が出てきた。
東京都も1,500名あたりまで下がったが、先週あたりから横ばい傾向になってきている。
これはたまたまで再び減少していくのか、それともこの横ばい傾向が続くのか、はたまた増加に転じるのか、ちょっと気になる。
 
もし、このまま横ばいないしは増加に転じるのであれば、それはワクチン接種3回目の感染予防効果が減少してきたと見るのが妥当だろう。
現行のmRNAワクチンはオミクロンに対して、感染予防効果は6ヶ月程度経つとかなり低くなると言われているが、3回目の接種が年初ごろから始まったことを考えると符合する。
 
2022年6月現在で、3回目までのワクチン接種率は60%に到達しているが、接種者数はかなり減ってきており、ここからの上積みはあまり期待できないだろう。
となると、今後は早めにワクチン接種した人から、感染予防効果が薄れてくることは間違いなく、それによって感染者数が増加することは十分考えられる。
 
ただ、そうだとしても、重症化する人が多くならないのであれば、それほど騒ぐ必要はない。
実際のところ、3月末に全国的にまん防が解除されてから、医療逼迫のニュースは見ていない。
この段階で、東京都の1日の新規感染者数は8,000人程度だったので、ワクチン接種が進んだ段階では、このくらいの新規感染者数は許容できるのかもしれない。
 
さて、ここから今後どんなシナリオを考えられるだおろうか。ちょっと考えてみた結果2つのシナリオがあり得そう。
 
1つは、感染者数はある程度出るが、4回目のワクチン接種も進み、医療逼迫も起こらずにこのまま推移するというシナリオ。
その後も半年に1度くらいのタイミングでワクチン接種を継続することで、元の生活に戻っていく。
ちょっと前まではこのシナリオになる可能性が高いんだろうな、と漠然と思っていた。
 
しかし、もう1つのシナリオも考えられるのではないかと思うようになってきた。それは、今後感染者数が増加に転じ、ワクチン未接種者を中心に重症化するケースが増えるというシナリオ。
3回目と4回目のワクチンの過渡期にあたる今後数ヶ月において、おそらく社会活動・経済活動も正常化へと進むので、感染者が増加するとワクチン未接種者を中心に重症化するケースが増えてくる可能性があるかもしれない。
ワクチン未接種者はまだ2500万人程度はいて、また3回目未接種者(2回接種はしたが3回目未接種)も2500万人程度いる。
当然のことながら、ワクチン未接種者には重症化予防効果は働かないし、3回目未接種者も3回接種者に比べると重症化予防効果は薄いはずである。
となると、今後感染者数増に伴い、これらの人々への感染も広がって重症者数が増え、もう一波来るシナリオも十分考えられるように思うが、どうなるだろうか。
 
2つめのシナリオには向かわず、1つめシナリオで推移して、今年いっぱいくらいでコロナ収束宣言することを願いたいところだが、そうならない可能性も頭に入れて、経営の方針も考えておきたいと思った次第である。
 
ということで、コロナは収束に向かうと思っていたが、もう一波来るシナリオもあるかもしれない、という話でした。

噴水とそこで遊ぶ子どもに癒やされる

最寄りの駅の目の前に、子どもたちが水遊びできる噴水がある。夏になると親子連れがやってきて、この噴水で遊んでいる。
うちの家族も水開きということで、この週末にその噴水に行ってきた。
 
娘は去年までは裸になって遊んでいたが、今年は小学校にも入学ということで、さすがに服は来たままだったが、びしょ濡れになりながら遊んでいた。
息子は去年の段階ではまだ10ヶ月くらいだったので水の中に入って座っているしかできなかったが、今年は1年経って走り回って遊んでいた。
 
そんな二人を私は少し離れたベンチから眺めていたのだが、なんとも言えない幸せな気分に浸ることができた。
もっとあくせくしながら、子ども二人を見ないといけないと思っていたが、予想外に落ち着いた気持ちで見守ることができ、子どもたちが遊んでいるのを見て癒やされたのである。
 
なんでこんな落ち着いて見ることができるのだろうかと考えてみたのだが、その理由はおそらく2つ。
1つは、水の癒やしと噴水の水深。
この駅前の噴水は3cm程度深さがあって水が溜まるようになっていて、そこで不定期に床から水が噴き出すようなしくみになっている。
浅いプールみたいなっていて、子どもたちにとって格好の遊び場となっている。
水で遊んでいる姿を見ると、それだけでなんとも言えない癒やしになるのだが、プールだとこうはいかない。小さな子どもがいると、ちょっとしたことで溺れる危険性があり、近くで見守る必要が出てくる。
しかしこの水深だと安心で、1歳9ヶ月になった息子もこけても自分ですぐに立ち上がっていた。
もちろん目を離さないようにはしていたが、こけたらすぐに駆けつけないといけないといった緊張感はなく、それが癒やしの感覚につながっていたのだと思う。
 
もう1つは、娘の存在。
娘ももう小学生ということで、2歳前の息子といっしょに遊んでくれる安心感は大きいと感じた。
娘が同じくらいの年齢のときは、同じ噴水で遊んでいても、私はもっと緊張しながら見守っていたのを覚えている。
安全面だけではなく、他の人に迷惑をかけないかなど、近距離で身構えていたのである。
それが、今回は基本娘が息子を見てくれているので、私は気楽にただ見ていればよく、たまにスマホで写真を撮りながら、ぼーっと眺めることができた。
 
そう考えると、おそらく子どもたちがこういった水で遊んでいる姿というのは、それが自分の子どもでなくても、見ていて癒されるのではないかと思った。自分の子どもだといろいろと責任も生じるので、逆に緊張感を高めてしまう可能性すらあるかもしれない。
ただただ眺めているだけで癒やしの効果があるのだとすれば、これは使わない手はないので、今度通りがかったときはゆっくりベンチにでも座って見てみようかなと思った次第である。
もちろんうちの子どもたちもたまには連れてきて、ゆっくり遊ばせたいと思う。
 
ということで、噴水で遊ぶ子どもの姿に癒やされた、という話でした。

ハッピーセットという言い訳

うちの家庭では、よくマクドナルドを利用する。
昼どきに買いに行って家に帰って食べることもあれば、娘と息子と出かけたときに店で食べることもあるし、朝マック買って食べることもしばしば。
 
その際、必ずと言っていいほど、娘(小学1年生)はハッピーセットを注文する。
最近は、息子(1歳9ヶ月)もそこそこ量を食べる用になったので、本人がリクエストするわけではないが、息子の分のハッピーセットを頼むことも多い。
 
マクドナルドのハッピーセット。今さら説明するまでもないが、いわゆるおもちゃ付きの子ども向けセット。
ハンバーガーだけでなくナゲットなんかも選択でき、ポテトと飲み物、それにおもちゃがついてくる。
 
娘はちょっと前まで、マクドナルドという店名ではなく、ハッピーセットという店だと認識していたようで、ハッピーセット行く!と言っていたくらい、マクドナルドに対する食いつきがいい。
 
さて、このハッピーセットが意味するところを、今回は考えてみたい。
イノベーションのジレンマ」で有名な、クレイトン・クリステンセン教授の「ジョブ理論」では、人はなぜその商品やサービスを購入するのかを解き明かしている。
この「ジョブ理論」でクリステンセン教授は、消費者は成し遂げたい”ジョブ”があり、そのジョブを解決するために商品やサービスを雇用している、と説く。
 
だとすると、ハッピーセットを雇用することによって、消費者が成し遂げたいジョブとは何なのか。
それは、日ごろおもちゃを買い与えることをしない親が、たまに子どもたちにおもちゃを与えるための言い訳を提供しているのである。
 
子どもたちは、ちょっと買い物に出かけると、あれ買ってこれ買ってと言ってくる。それをいちいち聞いていたらキリがない。
ただ、毎度その要望をすべて断るのは大変だし、たまには買ってあげてもいいかなと思ったりするが、一方でその線引きをどこでするのかが悩ましい問題だったりする。
そんな親の、毎回毎回買うわけにはいかないが、たまにはおもちゃを買い与えたい、というジョブを解決してくれるのがハッピーセットなのである。
 
ハッピーセットというネーミングもいい。あくまでもセットの種類という位置づけ。買うのは昼食であり、おもちゃはおまけとしてついてくる。これがおもちゃがメインになるようなネーミングだとこうもうまくはいかなかったのではないだろうか。
毎度、マクドナルドに行って、ハッピーセットを頼むために、うまい言い訳を考えたものだと感心したりする。
 
こんな感じで、親の本音と建前、それに対する言い訳をうまく提供するという枠組みでつくられている商品・サービスは他にもありそうでなので、ちょっと注意して探してみたいと思う。
 
ということで、ハッピーセットは親の言い訳を上手く提供している、という話でした。

美術館や博物館の建築物

前回・前々回と美術館めぐりが趣味になりつつあると書いたが、美術館や博物館に行くと、その建物自体に興味がいくことがある。
美術館といっても、建物全体が美術館である場合もあれば、ビルの一部が美術館になっているものもあるが、とくに前者の建物全体が美術館になっているタイプでは、見るだけで楽しい建築物が多くある。
 
最近行ったところで、印象に残ったものを挙げると、まずは大阪中之島美術館。
ここは、今年の2月に開館した新しい美術館だが、吹き抜けが贅沢に使われ、長いエスカレーターが交錯しており、近未来的な建築物になっている。
個人的に、エスカレーターの使い方がユニークな建築物は見ていて楽しくなるのだが、この美術館はまさに私の好きなかっこいい建築物を体現しているように感じた。
 
同じように贅沢な空間の使い方をしているのが、九州国立博物館
太宰府天満宮近くにある博物館だが、天満宮側から行くと、長いエスカレーターと動く歩道があり、それを抜けるとガラス張りの流線型の建築物が立ちはだかる。これを見るだけでワクワクするが、中に入るとこちらも広い吹き抜けに長いエスカレーターがあり、テンションが上がる。なんなら展覧会よりも、建物見てるほうが楽しくなってくるくらいである。
 
この2つのように、建物のつくりがかっこいいものもあるが、他にも広大な敷地があり、その中に建築物があるタイプのものもいい。
東京国立博物館京都国立博物館がこのタイプで、チケット買って入口入ってから、建物まで少し距離がある。芝生が張りめぐらせた庭があったりするのだが、そこをゆっくり歩くだけで気持ちがいい。
最近行ったときはあまり時間がなかったのだが、時間に余裕があるときは、この庭をゆっくり歩きたいと思う。
 
他にも、国立新美術館も面白い。
ここも建物自体がかっこいいのだが、行くまでの経路も面白い。地下鉄千代田線の乃木坂駅から直結で、駅の改札を出てから専用の出口があり、ここから地上に出ると美術館につながる長めの通路があるのだが、この出口から出ると美術館直結で外に出ることができない。地下鉄からつながる秘密の通路感があって、ここを通るだけでちょっと気持ちが上がるのである。
 
こんな感じで、美術館というだけあって、美術館をつくる建築物自体やそのまわりの景観や通路も含めて、美的に優れているところが多いと思う。
国内だけでもまだ行ったことない美術館や博物館はたくさんあるので、建築物も目当てに多くを訪問してみたいと思っている。
 
ということで、美術館や博物館の建築物はかっこいい、という話でした。

美術館めぐりにハマった理由

昨日の記事で、最近美術館めぐりが趣味になりつつあると書いたが、もともと美術関連のものに興味があったわけではない。
興味がないどころか、子どものころは図工や美術といった教科が嫌いで、成績もかなり悪かった。今でも絵を描くのは好きではないし、娘から何か描いてくれと言われても、やんわり断っている。
 
では、そんな美術嫌いだった私が、なぜ美術関連のことに興味や関心を抱くようになったのか。
考えてみた結果、2つの理由があるなと思った。
 
1つは、芸術家の人生やそのときどきの時代背景を知ることが面白いと感じたから。
これは美術館に絵を観に行くのではなく、どちらかというと歴史を学びに行くという感覚。絵画などの芸術品そのものではなく、情報を消費しているのである。
もちろん、その上で絵画などを観ることで新たな発見もあったりするのだが、あくまで背景の情報とセットとして価値があると思っている。
今では評価されている絵画も、その時代では問題作であったり、物議を醸していたと聞くと、時代背景なんかも見えてきたて面白いし、同じ時代の違う芸術家の展覧会を観に行くことで、時代背景がつながってリンクしたりすることもあり、教養としての芸術的な知識や情報を得ることに、楽しみを感じているのだと思う。
書籍やYouTubeからも知識や情報を得ながら、美術館をめぐってみたいと思っている。
 
もう1つの理由は、感覚の世界に浸ることができるから。
これは時間に余裕がある、人が比較的が少ない、などいくつかの条件が揃わないといけないが、ゆったり観ることができるときは、思考のスイッチを切って感覚の世界に入ることができる。
1つ目の理由とは、ちょっと矛盾するのだが、何も考えずにただぼーっと絵画などの作品を眺める時間を過ごすことができ、これはこれで何とも言えず良い。
子どもたちを連れて行ったりするときや、時間に余裕がなくバタバタしながら見ないといけないときには、こういった感覚にはならないが、比較的ゆっくり過ごすことができるときは、意識してそういった時間を過ごそうと思っている。
 
この2つの理由は、一度にどちらも同時に満たすことはできないのだが、そのときどきの環境や観に行く内容によって使い分けている。
どちらにしろ、得られるものはあるので、今後も時間を見つけては美術館めぐりをしていきたいと思う。
 
ということで、美術館めぐりが趣味になりつつある理由についての話でした。